(1)わかちあい
同じ悩みを持った人たちが、まず「集う」ということがセルフヘルプ・グループの始まりですが、そこでの最も大切な機能が、この「わかちあい」ということです。 みなさんが、一番初めに発見会・集談会に参加されたときのことを思い起こしてみてください。まずほとんどのかたが、自分一人で悶々と悩み、自分の悩みは特別だ、こんなことで悩んでいるのは自分一人だけだと思い込んでいたでしょう。森田先生はこれを「差別観」と呼ばれました。そんな人が不安感いっぱいで、恐る恐る発見会(集談会)というところに出てみたら、同じ悩みを持った大勢の人に出会い、「あなたの悩みはよくわかります。私もあなたと同じように苦しみました。もっとひどかったぐらいですよ」と共感してくれる人がいて、「自分だけではないんだ」「自分が特殊ではないんだ」と思ってほっとなさったと思います。こう感じることを、森田先生は「平等観」と言われました。
集談会の人たちが、「よく来ましたね」と温かく迎えてくれて、そして会の終わりには、「じゃ、また、来月会いましょう」と言ってくれる、その温かさ。それまでは孤独感や疎外感という硬い殻に閉じこもっていたのが開放されて、ここでは自分が受け入れられているという安心感を感じるのです。誰にもわかってもらえなかったつらさが、そのままわかってもらえるうれしさ、悩みや問題があるまま、ありのままの自分の存在が肯定されて、それまで人には話せなかったようなことも自然に話せて(自己開示)、仲間との親密性が深まります。
こうなってはじめて、気持ちが落ち着き、まわりが見えてきて、会員さんたちの話しが耳に入ってくるのです。そして、自分自身のありのままの状態も認めることができて、人間的な成長をめざそうという気持が芽生えるのです。先輩会員が「私もあなたと同じ悩みで本当につらかったけれども、今はこんなに元気になりましたよ」と話してくれたりして、自分も良くなるかもしれないという、回復への希望も出てきます。 悩んでいる人たちが、セルフヘルプ・グループに来て、真っ先に何を心に感じるかというと、この「わかちあい」なんですね。まずは、「ああ、自分だけじゃなかった」、「ここに来たら、何かほっとするな」とか、「ここの人たちは自分のことをわかってくれる」などと、そういう気持ちのわかちあいがまずあるのです。それが十分に感じられてから次に、いろいろと回復に必要な情報をわかちあうことになります。 「森田理論を学ぶと悩みが楽になるようだ」、「集談会に通い続けると元気になるらしい」とかですね。ここまできてようやく、悩んで閉じこもってきた人に、「森田理論」というものが受け入れられはじめ、それを学ぼうとか、その教えを実践してみようかという方向に心が動きはじめるのです。この段階がしっかりと根づくことが大切で、その後の心の回復がすすむかどうかを左右します。 このことは、新人を迎える立場の中堅会員さんたちが十分に心しておくべきことでもあります。森田理論や森田的なやり方をはやくわからせようとあせらず、まずは、悩みでがんじがらめになっている人を、あたたかく懐に受けとめてあげることを十分にしてあげてください。
(2)ひとりだち
わかちあってほっとできる魅力にひかれて集談会に参加し、しだいに雰囲気に馴染んでくると、ようやくその場で語られる森田的な言葉が耳に入ってきたり、森田理論の意味するところが少しずつ理解できるようになってくるのです。それも、先輩会員さんたちが自分の体験にもとづいて語ってくれるのでとてもわかりやすく、ピンときて、自分の悩みやつらさへの洞察もできていきます。
そして、どうしたら回復していけるかという情報も、先輩会員さんたちの体験を通して具体的に示されます。それを体験的知識と呼びますが、医師や専門家が教えてくれる知識ではなく、回復した仲間の先輩が伝えてくれる、セルフヘルプ・グループ秘伝(?)の回復への確実な知識なのです。そして、仲間の体験を通して自分を見出したりして、自分の現実が見えてきます。そうすると、自分自身も変われるんじゃないか、変わりたい、変えてみようと考えるようになっていくのです。 かつては自分と同じ状況で悩んでいた先輩たちが、その方法で現実に生き生きとたくましく生きている姿は、森田療法の有効性を何よりも強く実証していて、後輩会員さんたちに未来への希望をもたらします。
継続的に活動し、自分は発見会の△△集談会の一員だと自覚されてくる中で、現実の生活面でも変化が出てきます。それまでは、自分に自信がないので、できるだけ控えめに、自己主張はせず、人には逆らわず、人から批判されないように、「ノー」は言わず、人の期待に沿うように、消極的・受身的に生きてきたものが、一人の生活者としての主体性を取り戻してくるのです。自分がхххと考え、自分が***したいと思い、自分の判断で+++を実行するようになります。すなわち、自己選択し、自己決定し、自己管理し、それを自己責任で実行していくのです。 たとえば、みなさんは、「発見会活動や、集談会に参加し続けるか、続けないか」と迷ったことはありませんか。時々聞くのですが、家族に「“発見会”ってそれは何だ、新興宗教か?おまえはだまされているんじゃないか?そんな所にはもう行くな」と大反対されたという話。オウム真理教が騒がれたときは、「おまえも、洗脳されているんじゃないか」と言われたりした人もいるでしょう。森田療法にも、確かにわかりにくい言葉がありますからね、「あるがまま」とか「事実唯真」とか「思想の矛盾」とかちょっと宗教臭いような言葉もありますよね。 よく知らない家族が、訝しく思っても不思議はないのですが。しかし、家族や周囲の理解がなくても、自分にとってそれがいかに大切なものであり、この教えに学び、活動に参加することで自分が変われそうだ、泥沼から抜け出せそうだと自分がしっかりと感じている時には、「自分は集談会に出よう」と考えて自分の意志で参加するわけです。すなわち、自分で考え選び、そして自分で決め、実行し、自分の生活を自己管理していることになるわけです。会のことだけではなく、日常のあらゆることに、「自分はどうしたいのだろうか」と自らに問いかけ、「自分はこうしたい」と主体的に考えるようになっていきます。
横山理事長さんが現在、「自助グループについて」というお話しを、全国行脚して各地域の幹事研修会で話されていると伺いました。そのレジュメをいただいたのですが、非常にわかりやすくまとまっています。その初めの「セルフヘルプとは」というところで、セルフヘルプの意味を「自分のことは自分でする」「自分のことで責任をとれるのは自分だけ」という言葉があります。 この意味は、間違うと、人に頼らず自分だけでやりなさいとも受け取れますが、そうではなくて、みんなとわかちあいながら、助けたり助けられたりしてやるのだけれども、ベッタリ依存したりさせたりではなく、各人それぞれが自分の判断を持ち、自分がすることやその結果には自分が責任を持つということなんですね。「先輩会員さんが言う通りにしたのに、全然良くならない」と言って先輩を恨むのは、ちょっと筋違いなんですね。 自助グループでは、先輩の薦めを受け入れて、実行するかどうかは、各人が自己責任においてするものなのです。発見会の先輩が推奨する森田理論ももちろんです。その考えを受け入れるか受け入れないかは、各人が決めるということですし、それで回復するかしないかも、それを薦めた先輩の責任ではなく、自分の責任だということです。
また他方で、回復を援助している先輩会員の側からいっても、後輩をどうにか回復させようと、あまりのめり込みすぎないことです。熱心に親身に指導することと、盲目的にのめり込むこととをはっきりと区別する必要があります。自分の思い込みでのめり込むと、「私の言う通りにしないから良くならないのだ」「がんばらないあなたはダメだ」などと相手をきめつけてしまい、逆に後輩は離れてしまうでしょう。 「私たちはできるだけのことをしてあなたを援助しますよ。(しかし、それを受け入れるかどうかは、あなたの裁量ですよ)」、「私自身はこの森田理論を実践して回復しました。あなたが共感されているなら、きっと回復すると思う。(しかし、必ず回復するとは保証できない)」というようなスタンスで援助したら良いと考えます。 いくら一生懸命に相手を回復させようと努めても、相手が回復するとは限らないのです。その人の中に、回復したいという力がどれくらい強くあるか、なども大きく影響しますから、ある意味では相手に任せることも必要かと思うのです。相互援助なのですが、メンバー各人が「ひとりだち」していることが求められることの意味をわかっておく必要があります。
セルフヘルプ・グループという場の活動は、依存的であった人が参加し続けることで、次第にひとりだちしていくことを支援するプログラムを提供します。たとえば、悩んでいる最中は他の人から援助される一方で、周囲の人への配慮などはまったくできなかった人が、集談会に出続けているうちに、受付やお茶出しなどを頼まれます。そして次第に、記録係やその他の役割を引き受け、後には代表幹事などになって集談会活動を支え、会の運営や後輩会員の回復を援助する人になっていきます。すなわち、被援助者(援助される人)であった人が、援助者(援助をする人)になっていくわけです。そのように会の活動が提供する社会的役割を担い、他の人のためにと考え行動することが、幼児性が強い神経症者をいかに大きく成長させるかは、みなさん自身が身を持って経験してこられたことだと思います。
会の中でひとりだちしてくると、次第に自信が持ててきて、次には一般社会での適応技術も獲得できて、積極的に社会にも関るようになっていくのです。
(3)ときはなち
セルフヘルプ・グループが心を癒し回復する三段階目の機能が「ときはなち」です。自分が神経症者だということをコンプレックスと思ってこられた会員のかたも多いと思います。妻や夫にはまだ話していないというかたもいるでしょうし、会社はもちろん、友人にも言わないというかたは多いと思います。社会的な偏見もありますので、当然ではありますが。しかしそれが、回復が進むと、その社会的な差別観から解放されていくのです。自分への信頼感が増すことを自己尊厳の回復と言いますが、あるがままの自分が受け入れられ、あるがままの自分こそが尊く価値があるのだと思えるようになります。これは、自我が強化されることを意味します。
ここにいらっしゃるみなさんは、発見会の活動を積極的に担っていらっしゃるわけですが、自分も神経症に悩んだ体験者・回復者としてなさっているわけですよね。「神経症になってよかった」、「発見会につながってよかった」という言葉をよく聞くのですが、みなさんの多くはきっとそう思っておられるのではないかと思います。悩み苦しんだ体験があったからこそ深くものごとを考え、そしてすばらしい森田療法を知り、発見会の多くの仲間に出会い、さまざまな活動に関わることになり、かえって多くのものを得ることができて良かったと思っていらっしゃいませんか。そう感じることこそが、自らの内に押し込めていた差別観から心が解放されることなのです。ここまで回復したみなさんは、発見会活動を通して、またはそれを越えて、心の問題に対する社会的偏見や差別観を撤廃するために、社会に対してさまざまな働きかけをしていらっしゃることになります。それが「ときはなち」ということになるのです。
集談会を定期的に開くことのみならず、各地域で一般の人の参加を募ってのセミナーや講演会を開催し、多くの場合に体験発表がされていますよね。森田療法学会でも、毎年発見会の方の体験発表があり、私はいつもそれが一番楽しみで勉強になると思っているのですが。このような、自らの体験を社会に向けて発信する行動はすごく勇気がいることですが、とても大きな意味があることです。毎月の発見誌の発行や書籍の出版も、一層多くの人たちに情報を伝える活動になっています。
さらに、地域の関係機関などとも連携しての活動も増えていくに従い、それぞれの地元での信頼を得て行くと、さまざまな場面や状況で頼りにされるようになるでしょう。
そしてセルフヘルプ・グループによる心の回復の最終プロセスは、未だ悩める人々に森田療法を伝達したいという使命感を持ち、その人たちが自分のように回復して生きる喜びを感じられるように支援したいと願い、そのために、発見会の活動を自らの使命として担い続けたいと願うことです。
今から思うと、私の父・水谷啓二も、この使命感に突き動かされていたように思います。森田療法をひろめることと、悩める方たちを指導することへの、あの湧き出るような情熱とエネルギ-は、自らが体験し回復したよろこびを源にした、使命感という泉からほとばしっていたように思います。
こうして、セルフヘルプ・グループの三つの働きに沿って、発見会の会員一人ひとりの心の回復過程をたどってみますと、また新たに発見会の持つ機能の深い意味や、何を大切にしたら良いかが見えてくるのではないかと思います。次回は、グループとしての発見会の、セルフヘルプ・グループとしての機能を検証し、心の混迷を深めている現代での会の意義を考えたいと思います。
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