森田療法に見るセルフヘルプ・グループ的要素(1)
~大きい非専門家回復者の役割~
スライド(3)
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父の「森田療法もいろいろ」という言葉から、もうひとつ脳裡に浮かんだことがあります。当時、森田療法は専門の治療者によって行われるのが当たり前でしたが、現在、非専門家集団の生活の発見会がこれだけ発展し、それによって多くの人々が癒されるという、大きな力を発揮する活動になってきたわけですが、それは、森田療法に、異なる次元への画期的な広がりをもたらしたと思うのです。父がそこまでを予測していたかどうかとは思いますが、私は、森田先生自身の考え方や奥深さがそれをもたらしたと考えますし、ずいぶん歳を経てから、その深遠さに感服しました。それがスライド(3)の「森田療法に見るセルフヘルプ・グループ的要素(1)」につながるのです。 スライド(3)でまず示しましたのは、森田先生自身が神経症の体験者であり、そこから回復をなさった方であり、その回復体験が森田療法の原点なのだと、私は考えていることです。森田先生の関心は大変幅広く、さまざまな分野の考え方を旺盛に学んで、これはというものはどんどん取り入れ、発展させたりなさったことは周知のことです。しかし、森田先生ご自身の体験が、やはり森田療法の原点になったと、私は思うのです。
そして、森田先生自身が治療者であり、あれだけ偉い先生なのに、ご自分自身が神経症を体験したということを自己開示なさったことは、画期的なことだと思います。他にも多くの森田療法家が、ご自分が神経症を体験し回復した人間だということをオープンなさっていますが、これは森田療法の特徴と言ってもいいですね。鈴木知準先生もそうですし、ほかにもたくさんいらっしゃいますよね。精神分析をはじめ精神療法はたくさんありますが、治療者はあまり自分のことは言わないですね。しかし森田療法では、治療者自身の生き方も治療のありかたに関わってくるわけで、そこがユニークで、すばらしい点だと思うのです。
森田先生は、ご自身が神経症を体験しているがゆえに、神経症に対する共感と深い洞察を得ておられました。その観点から、神経症者はどのように悩みを深めていくのか、実際にどうしたら回復するか、などを、実に無駄なく、端的に的を得て巧みに表現しておられます。森田療法の治療理論や技法は、それを実践するとなぜ良くなっていくのかなど、その途中のプロセスや回復要因をあまり詳細には解説してありません。このために、森田療法は理論的じゃないというように批判されもするわけです。私も若い頃はそう思っていました。しかし、精神科医を40年近くやってきてみて、森田療法は実に簡便で、かつ確実な回復をもたらす、実用的な精神療法だと実感しています。先生は、「人間の心の変化のプロセス」を実に深く洞察しておられたんだなあと感じまして、経験を積むほどにそのすごさがわかってきました。これは、精神医学理論である森田療法にあてはめた例えとしては適切ではないかもしれませんが、「ただ“南無阿弥陀仏”と念仏を唱えさえすれれば極楽に往生できる」という教えのように、すべての無駄を省き、大切な部分だけを切り取って、エッセンスだけを伝えられたのではないかと思うのです。
スライド(3)の後半で示した「形外会」は、セルフヘルプ・グループの芽生えと言ってもいいかと思います。まだ完全に整ってはいませんが、ほぼ自助グループの要件を満たしています。治療を受けて回復した体験者(当事者)たちが自主的につくり、まだ悩んでいる人の回復を助け、自分たちもさらなる成長をめざすという目的で集いが行われていたのです。このようなやり方は、他の精神療法にはみられない独特なものですし、また1929年という非常に早い年代で先駆的です。そして、それを森田先生が推奨され、治療の一環として取り入れておられたことに、また驚くのです。通常、治療の場では、治療をする人が治療者(専門家)、治療される側が患者(非専門家:当事者)とはっきり区別されているもので、そこには越えがたい一線(境界線:ボーダーライン)が厳然としてあるわけです。しかし、森田先生は易々とそのボ-ダーラインを取り払ってしまわれたのです。そこがまた森田療法のすばらしさでもあり、大きな広がりがもたらされた要因でもあったと思うのです。
これは少し横道にそれますが、この治療者(専門家)と患者・回復者(当事者)とのボーダーラインをめぐって、この後で話される北西(憲二)先生と私は、最近、激しい(?)論議を展開しているのです。多分、今日もこの後の懇親会で論議できるかなーと楽しみにしているのですが。北西先生から「比嘉先生はボーダーレス過ぎる」とご批判を受けていて、私も必死で反論して、激しいバトルをやっているわけです(笑)。なぜ私がボーダーレスになったかと言いますと、私は、先ほどお話ししたような環境の中で育ち、生活していた家庭そのものが、父が森田療法を行う場だったものですから、一緒に生活していた方たち(寮生と呼んでいましたが)に対して「患者さん」という意識がありませんでした。寮生の方たちは本当に普通の人と変わりませんでしたから、私の年齢変化によって、共に暮らしているおじさん・おばさん、お姉さん・お兄さんであったり、次第に友だち、そして妹になっていったりしたのです。また、父はいつも「神経症の人は非常に優秀なんだ」と言っていましたので、「神経質じゃないとだめなんだ」と思って、私は劣等感をずっと持っていたんです。一緒に過ごしてみて、みなさん真面目で、優秀ですし、誠実で信頼できる人達だと感じていました。すばらしく懐の深かった森田先生は、治療関係を遥かに越えて、人間同士としての信頼感を築き、愛情を注がれたのだと思います。回復した人たちは自分の仲間であり、家族であるということを、ごく自然な成り行きとして体現なさっていたように思います。
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