発見会が森田療法の裾野を大きく広げた重要な要因のひとつが、セルフヘルプ・グループ機能であると考えるのですが、そこにも、私との接点がありました。
私が、若気の至りで、親にも大学にも、森田療法にも造反して飛び出したときに勤務した病院が、たまたまアルコール依存症という病気の治療を多く手がける精神科の病院でした。そこに16年間勤務しましたが、自分で望んだのではなく、やむをえずアルコール依存症の治療をするはめになりました。なかなか直らず、正直とても苦労しました。そんな中で、患者さんたちが、セルフヘルプ・グループ(自助グループ:「断酒会」や「AA」など)で回復していく過程をずっと見聞きすることになったのです。アルコール依存症や薬物依存症、ギャンブル依存症、摂食障害、借金依存などをアディクション(嗜癖)というふうに言いますけれども、その裾野は今日かなり広がっていますが、嗜癖からの回復にはセルフヘルプ・グループの存在が欠かせないのです。
私はそれに長く関わってまいりまして、造反した青年期も過ぎ、それなりに落ち着いて臨床経験を重ね、患者さんの回復過程に学んだり、子育てをしたり、自分の生き方に悩んだりして20年ほど経った頃に、森田療法での回復と、アルコール依存症の回復の最終ゴールは同じではないだろうかと考えるようになりました。その頃また、生活の発見会の方から、「発見会をセルフヘルプ・グループとして整理して、会の活動をより良くしたいので、セルフヘルプ・グループについて聞きたい」という、思わぬお声がかかったのです。私がずっとセルフヘルプ・グループとともに歩んできた経験で、思いがけず、微力ながらお手伝いをすることができるなんて、と、とてもうれしくなりました。また、人生のめぐり合わせっておもしろいなあとも思いました。
私は森田療法の発展には何も貢献してきませんでしたし、かえって父を早く死に至らしめて、非常に妨害的な行為をしたという罪悪感がずっとありました。そして造反して、全く対極の所で生きていたつもりだったのですが、ふと気がついてみたら、すぐ背中合わせのところに森田療法(生活の発見会)があったという感じで、自分がまったく意識しないで夢中でやってきたことが役立つことになったわけです。このことで私が思い出しましたのは、父がよく言っていた次のような言葉でした、「人間が回復していくプロセスはいろいろあっていい。ちょうどそれは、富士山の登山口が御殿場口だの吉田口だのあちこちにあるように、いろいろな方法があり、全く違った方向からのアプローチがあっていい。でもそれを極めれば、結局は同じところ、山頂に到達するんだ」と。
父はまたよく、「森田療法もいろいろあっていい」と言っていました。「治療のやり方も、治療者のタイプも、いろいろあっていいんだ。森田療法による回復にも、いろいろな回復のしかたがある」と言っていました。私に父は、「おまえはおまえの森田療法のやり方ができれば、それでいいんだ」と言っていました。父は、私から見ると、ビシッとして権威的に見える指導のしかたをしていた人でした。私が精神科医になったころは、森田療法家というのはほとんど男性でしたが、みなさん結構権威がありましたね。そんな状況を見て、今の自分には、森田療法はできないし、する自信もなく、父のようには絶対にできないと思ってもいましたので、心の中で私は、「何言ってるのよ! 私に森田療法をやらせたいから、その気にさせるために言っているのでしょう」と思ったりして、ろくに真剣には聞いていなかったのです。そのまま家にいたら、森田療法をやらされてしまいそうでしたし、どうやってそこから逃げようか・・・という気持ちも無意識の内にあって、それが私が家出をする潜在的な要因であったかもしれません。
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