三つの呪文
このように、普通、心身が健康で、いろいろ問題があっても、うまく乗り越えておられる人々は、森田療法で言っているようなことを知らない間にやっている。
ところで、ある先生が、次のような三つの呪文をおっしゃいました。一つは「しゃーないなー」、二つには「いろいろあらーな」、そして三つ「なるようにならーな」。私は豪放磊落(ごうほうらいらく)なその先生が言われたということに、びっくりしました。なぜかといいますと、一見この三つの言葉は、なんとなくあきらめの言葉のように聞こえるわけです。しかし、よく考えてみますと、最善をつくして努力して、その結果からまた、新しく再出発しようと思えば、現実的に問題を認めた上でないと次のステップに進めない。そうでないとまた同じ失敗をするわけです。これは、「純な心」と同じだと思いました。「純な心」を生かす一番の近道というのは、この呪文であろうと思っております。「しゃーないなー」、「いろいろあらーな」、「なるようにならーな」ということです。
これだけでは、理解しがたいかたがおられると思いますので、例をあげてお話をしてみたいと思います。
経済評論家で有名な竹村健一先生が『人生相談』という本を出版しておられます。その一節にあるものを私は読みまして、これは説明に役に立つと思いましたので、お話させていただきます。それは、無二の親友に恋人をとられて、人間不信に陥って悩んでいる青年の質問に、竹村先生が答えている内容です。
――その青年に対してケジメをつけようと思って、相手に詰め寄らんほうがええね。相手は「悪かった、もうそんなことはしない」と言うか、けんかになって別れて二度と会えなくなるか、どっちかや。すぐ謝るようなやつは、大体また同じことをやる。けんか別れしてしまうと、もう会えなくなるしね。そんなときには、「人間とはそんなものや」とあきらめをもつことやね――(それは「しゃーないな」)
ところで、あきらめてそこで終わってしまうと人間不信に陥ってしまう。それではあかんですよ。世の中にはたくさん人間がいる。二人に裏切られても日本人は一億おるんだし、世界中だったら四十億おるんだから、二人差し引いても、残り三十九億九千九百九十何万はええ人かもわからんしね――(これは、「いろいろあらーな」です)――
だから、すんだことにあまり嘆き悲しんだり、相手をぼろくそに言ったりしないで、いい方に物事を解釈していかなあかんですよ。人間簡単に言うと得なんだね、そういうほうが得なんだね――(これは「なるように、ならーな」です)
そういうふうに答えておられます。
これを森田の理論で考えますと、「ケジメをつける、白黒をつける」ということは、「好き嫌い、価値観をつける」ことになる。「価値観をつけないようにしましょう」ということが、森田のひとつの考えかたですね。「ケジメをつけないというのが大事だ、それであきらめなさい」、それが「事実」である。あるがままを認める。
二番目に、人間不信に陥ろうとしている人には、「世の中にはたくさん人がいるんだ。自分を裏切ったのはわずか二人。二人を差し引いてもたくさんの人がいるんだ」。これは事実ですね。親友に裏切られて自分がひとりぼっちと思うと、とてもじゃないが生きられませんが、「裏切ったのは二人であって、ほかの人たちは、ぼくを裏切ったわけではなくて、たくさんおるんだ」と思えることが大事で、これが「事実唯真」であります。
それから、三番目に、「いいほうに解釈したらいいんだ」ということ。裏切った二人=「できなかったこと」に目を向けるのではなくて、「できること」に目を向ける。それが先ほどから言っている「生の欲望」、よりよく生きるための方法である。裏切った二人だけがすべてだと思うと、「死の恐怖」に陥ってしまう。そこのところをよく理解していただければいいと思います。このように、こういう無二の親友から裏切られたときに、心の切り替えができる方法を、森田療法では教えているわけです。
このように、「あるがままを認められる」ようになると、不慮の事態に直面しましても、早く「平常心」になることができます。これは「境遇に柔順である」ですね。「あるがままを受けとめて」そこから再出発する、「自分を生かす」、「創意工夫をする」ということが生まれてくるわけです。
「純な心」の話をもう少し続けさせていただきたいのですが、森田先生の言葉によりますと、「この『純な心』は、隔離生活――治療においての『絶対臥褥』――において、周囲に対する気がね、煩累(はんるい)を離れ、善悪、是非とかいう理想的の予定を没却して、拘泥のない自分自身になったとき体験されることであって、森田療法の進行中に次第次第に会得される」と説明しているわけです。これをもう少しわかりやすく平易な言葉で言い換えますと、「まず一人になって、人の目や口を気にすることなく、わずらわしい関わりあいを捨てて、とらわれのない本来の『あるがままの自分自身』になったとき、初めて体験される心であり、それは治療が進展するにつれて徐々に会得される」というのです。
これまでのことで「境遇に柔順」、「あるがままを認める」ということと、「『純な心』の体得」というものが森田療法によって得られる、ということはおわかりになられたかと思います。それで、「創意工夫をもたらす原動力」となる「純な心」について、もう少し考えてみたいと思いますが、森田先生ではなくて、松下電器の創業者であって今は故人になられた、松下幸之助先生が唱えておられる「素直な心」というものをご紹介させていただきます。

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