できたことに目を向ける
話は横道にそれますがキリスト教でも、そういう教えをしているように聞いたことがあります。いろいろな苦しみに直面したときに、「それはあなたが処理できる、あなたが受けとめられる。だから神はあなたにそれを課しているのだ」という言い方をされると聞いたことがあります。これはまさに「『不可能なことなし』の体得」と同じことを言っています。
どうしたら体得できるかということですが、まず神経症、ノイローゼのかたは物事をどう考えているかというと、森田博士は次のように言っておられます。「『できたこと』よりも『できなかった』ことに目が向いて、何度試してみても失策、失敗して『不成功の落胆』を反復体験する。そのために、またその次にやってもできないだろうというふうに考えている。それは『感情の法則』にしたがった『落胆の繰り返し』をしている。それが徐々に積もり積もって、ますます気落ちして、臆病で卑屈になってしまう」 それではどうしたらよいのか。森田博士のことばですが、「治療にあたっては『事実唯真』、事実、すなわち現実の実際の問題を客観的に見て、それに従って行動する。そして『できた』ことに目を向けて、その『できた』という小さな成功の喜びを反復体験する。そのことによってますます元気になり、勇気と自信を取り戻すのだ」とおっしゃっています。
こういうことがどうしてできるのかということになりますが、ここが神経症の人にとって非常に難しいところです。それは、完全欲が強いため、「できなかったこと」の方についつい目がいくからむずかしいのです。
ここで例をあげてみたいのですが、100点満点のテストを皆さんも受けたことがあると思います。たとえば、皆さんのお子さんが100点満点のテストを受けて、30点とって帰って来たとします。そうしたら、そのときにがっかりするか喜ぶか、快感を覚えるか、不快感を覚えるか、どうでしょうか。
多くの場合、やはり30点はがっかりする。なぜがっかりするかといいますと、30点を見ているのではなく、マイナス70点を見ている。できなかった部分に目がいっているのです。それでがっかりする。考え込む。だからマイナス70点を見て、次の試験を受けるとまた取れないのではないか、また30点ではないかと思う。そこが問題です。森田博士が言っておられるのは、「取れた30点、現実にある、得点できた30点を見なさい。そちらに目を向けなさい」といっているのです。「昨夜一夜漬けで勉強したら30点とれた。それだけ取れたのだから、もし、この次もう二晩徹夜すれば60点とれるかもしれない。よし、やってみようか」というふうに物事を考えることができる。
そう思えば、次の試験を受けるときが楽しみになる。「どれくらいできるか、やってみよう」ということになる。「とれなかったらどうしよう。また30点、マイナス70点だったらどうしよう」と思うと「ねばならない」ですね。これが「できなかったらどうしよう」という思いを引き起こさせる。
先ほども質問に出ていましたが、心配のほうに心が動きますと、受身になってしまいます。そこが一番のポイントで、森田先生は「『事実唯真』、できたこと、あること、見えること、を大事にして行動しなさい」とおっしゃいます。その訓練を三期でやります。やる場合に「善し悪しをつけない」。神経症は特にこじれやすい問題を含みますので、「つけない」ということが大事なポイントになります。そこまでができますと、大体基本的なところは卒業のはずです。しかしもう一つ四期があります。

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