不問を実行することが「あるがまま」
「あるがまま」ということばは平易なことばですが、よく、「あるがままにしなさい」と言いますと、皆さんノイローゼで悩んでいるかたは、「そのまま悩み続ける」ということをされる。ノイローゼになった時点というのは、先ほどもお話しましたように、「自分を否定した自分」があるわけです。そのままの状態を認めるということは、「否定し続ける」ということになって、納得いかない。また、症状へのこだわりがあると、「こだわり続ける」と理解するかたがいます。そのために「『あるがまま』では治らないのではないか」と言われるのですが、これは理解のしかたの違い、理解が浅いということになります。「あるがまま」とは、「現実の自分そのもの」「症状そのもの」を認めるということになるわけです。
ところで、どうしてノイローゼを克服するかということですが、神経症のかたというのは“とらわれ”があって、症状が「なくならなければすべてが治らない、よくならない」と考え、「あってはならない」と思うわけですね。そこが悩みの始まりであります。神経症のかたは受身的で消極的な態度が見られるために、大体多くの場合は、「石橋をたたいて渡らない人」であります。そのように否定した自己にとらわれて、思いに矛盾が起こって、そのために症状が出現する。その症状に注意が向いて、森田博士が言う「精神交互作用」が起こり、ますます症状に注意がいくことになる。それが「神経症そのものの成り立ち」であると森田先生は言っておられます。
この精神交互作用をどういうふうにして切るかということですが、その話に入る前に…。
神経症は現実にある症状を否定するだけでなく、根底にある「現実の自分を否定していること」が「神経症の基本問題」であると森田先生は見ておられました。「症状を不問にする」ということ、それは取りも直さず、症状ではなくて自分自身、症状は自分にあるわけですから、その自分をも認める(不問にする)。認めることを「不問」ということばで言っているのだと、この頃感じている次第です。その「不問」を実行することが、「あるがまま」を実行することになるということであります。

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