症状を問題にしないということ
森田博士のおっしゃるには、ノイローゼになる人は、元来「ヒポコンドリー性基調」という「物事をくよくよ考えやすい」もともとの性格傾向を持っているというのです。それに加えて、向上心、完全欲といった「生の欲望」「よりよく生きたい」という思いが非常に強いかたである。「生の欲望」が強ければ強いほど、それと表裏をなす「死の恐怖」、死を恐れる思いが、それだけ強いといいます。したがって、「ノイローゼの状態というのは『死の恐怖』に心が支配されて、悲観的に物事を考えて、臆病で卑屈になっている」と森田博士は言っています。理論的に言いますと、「ノイローゼとは、あるべき理想の自分の姿、状態と、現実の自分を比べて、現実の自分を否定している人」と言えるかと思います。いわゆる「『みにくいアヒルの子』ノイローゼ」ということになります。そういうかたは、将来素晴らしい白鳥になる、白鳥の子どもであるということを自覚されると、もう少し気楽にノイローゼを克服できるのではないでしょうか。
それから治療にあたって、森田博士は最初に「症状を不問にする」ということを強調されています。この症状を問題にしない、置いておくということは、ほかの精神療法では考えられない、身体の病気でも考えられません。症状を無視して、「あなたの症状は置いておきましょう。それ以外のことをしましょう」と言いますと、患者さんは、病気は症状が問題であり、その症状を取ってもらわなければ治ったと思いません。したがって、そういうことを無視されると非常に腹を立てるということが現実であります。ところが森田博士はその当時、「症状を不問にする」ということを、大きな治療のひとつのテーマにしておられます。なぜ森田博士は症状を不問にされるのでしょうか。
一般的には、症状というのは、不安なり緊張なり、ある原因があって起こった結果であるので、原因を治すことが大事だと考えます。それから、原因が治らないのであれば、症状をいくらいじくってもだめではないか、だから「症状を不問にする」のはあたりまえだろうと…。比喩的に言いますと、影を消そうと思って、いくら箒ではいても影は消えない、そういう意味で症状を問題にしてもしかたがないのではないか、と一般に考えるわけです。
しかし森田博士が考えている「症状の不問」というのは、そういうものではないと、この頃思うようになりました。
なぜ症状が起こるのか。森田博士は、神経症というのは、「理想の自分」「理想の状態」を基準にして、「現実に今ある自分」というものを比べて悲観的に見ている。それを「思い考えていることに矛盾がある」といいます。その結果、「不安」、「緊張」が起こり、そして、その症状を否定する…そういうところに神経症の発症があると考えておられます。すなわち、現実の自分だけでなくて、起こる症状についても否定することが神経症の姿であるというのです。したがって、その「症状を不問にする」ことが、治療上非常に大事な部分になるというわけです。それは、どんな意味を持っているか、ということです。

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