センスを養う
そしてまた、私はセンスを養うことが大切だと考えます。
森田先生は「感じ」ということを大切にされました。素直な感じ、あるいは「純な心」ともいっております。神経質者はとかくこの素直な感じを、自分で抑圧したり歪めたりしがちですが、私は森田先生のいう「感じ」というのがセンスに通ずると思うのです。
「あのかたはセンスがいい」「センスがわるい」とかいうとき、これは好み、趣味のことをいっていると思うのですが、その根本は同じだと思うのですが、いかがでしょう。
どうも、マナーもわるい、センスもない私が、こんな話をするのは気がひけてなりませんが、それを自覚するだけに、いっそう強調したくなるのでしょう。お許し下さい。
さて、このセンスをどうして養うことができるでしょうか。私は、ひとことでいえば、よく見ること、そこから生まれる感じを大切にすることではないかと思います。
服装にしても化粧にしましても、私たちはある感じをもつと思います。いい感じかわるい感じか、好ましいか嫌悪をいだくか、あるいはどちらでもないか、感じはいろいろあろうと思います。それから、どこがいいか、どこがわるいかを観察するでしょう。
人のふり見てわがふりなおせ、です。わるい感じ、しっくりしない感じの服装や化粧は、自分でもえらばないはずです。やはり、いい感じのものから何かをえらぶはずです。年寄りが立っているのに、脚を組んでマンガなど読んで席をゆずろうともしない若者は、見ていて感じのよくないものです。その感じを大切にして、自分が立って席をゆずる、こういうことだろうと思います。
植木鉢を見る、土が乾いている、あ、水をやらなければ、とすぐ水をやる。廊下にスリッパが脱ぎ捨てられて乱雑になっている。見苦しいですね。すぐそろえる。これが素直な感じであり、素直な行動ですね。
ところが、ここで、自分がやらなくても誰かがやるだろうとか、わざとらしく思われないだろうかと考えて、結局はほっておく、見て見ぬふりをすることがあります。はじめはなんとなくやましいことをしたような感じになりますが、二度三度こういうことをくりかえしますと、そのやましさも感じなくなります。鈍感になってしまうのです。鉢の植木は枯れるでしょうし、スリッパはいつも乱雑に脱ぎ捨てていることでしょう。親がこういう調子だと、その子も同じようになることは、まず間違いありません。
センスを養うもう一つ大事なことは、活動によって五官を錬磨することです。触覚、視覚、聴覚、味覚、嗅覚の五官、さらにお腹がすいたとかいう内部感覚といわれるものです。これらの感覚器官は活動することによって強くなります。これらの感覚器官が強くなれば、それだけ感じも鋭敏になります。
神経質症に悩んでいると、症状についてはひじょうに鋭敏ですが、ほかのことについては鈍感です。ほかのことについても鋭敏になればよろしいのですね。
お花や貼り絵や習字や料理の同好会が盛んですが、けっこうなことだと思います。ヨガやテニスをなさっているかたもおありでしょう。大いにやって下さい。やってみようかなと思ったら、まず手を出してみることです。

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