こうして症状から解放された(論文・エッセイ)
| 行動が性格を変える(3) /長谷川 洋三 (前・生活の発見会会長) |
| 性格は変わるもの 第五は変化性です。 性格は生まれつき固定したものではなく、変わるものだということです。これは、皆さんがよくご存じのことですが、世間には、性格は遺伝的なもので変わらないと思いこんでいるかたが少なくありません。皆さんのなかにも、かつてはそう思いこまれていたかたもおありのことと思います。自分の性格を嫌いなかたが、この嫌いな性格が遺伝的なもので、変えようがないとすれば、生きる希望も失われますね。 お互い、ふりかえってみましょう。四、五年前、あるいは十年前、入会当時といまの自分がどう変わっているか、仲間がどう変わっているか。自分の変わりようは、そうはっきり見えないかもしれませんが、それでも、われながら変わったなあ、と思われるでしょう。ほかの人については、これは、はっきりと気づかれるに違いありません。学習と体験をつみかさねるうちに、だんだんと変わってきたのです。 入会当時は、こんな大勢の人の前で、話をするなどとても考えられなかったようなかたが、いま立派に司会もされ、あるいは助言もされています。変わるのですね。 高良先生も、性格はその人の素質と環境、それにその人の努力や人生観によって変わるといっておられるのです。 藤野先生は、以上の五点をあげておられるのですが、森田理論ではもう一点、両面性をあげなければならないでしょう。 そこで、第六は両面性ということです。 私たちは学習で、性格にはプラス面とマイナス面があることを学んでいます。神経質の性格特徴としては、反省心が強くて、まじめで、責任感が強い、というプラス面の半面には、自分の心身の状態を細かく観察し、わずかな弱点とか欠点を大きく見て劣等感を抱いたり、ちょっと胃がもたれたり、頭が重かったりすると、病気になったのではないかと取越苦労するといったマイナス面があります。 粘り強く、忍耐強くて、努力家です。五年、十年と神経質の症状と闘いつづけるなどということも、努力家でなければできませんね。忍耐強い半面、物事にこだわりやすく、融通がきかないというマイナス面があります。五年も十年も症状と悪戦苦闘するのは、このマイナス面のあらわれですが、森田理論を学んで、苦しみに耐えて、努力方向を切りかえてプラスの実践をされてゆく姿には、このプラス面をはっきりと見ることができますね。 向上欲、完全欲が強く、努力を惜しまない、また何ごともきちんとする几帳面さもプラスです。その半面、完全主義に陥りやすいというマイナス面があります。百パーセント完全でないと気がすまない。ちょうど学校のテストでいつも百点をとらなければ承知できない、といったようなものです。お母さんでこういう傾向の強い人は、子どもが八十点をとってくると、二十点足りないことが、くやしくてなりません。前のテストのときよりいい点をとっていても、そこには目がいきません。ガス栓や水道の蛇口をしめながら、まだガスがもれているのではないか、水がもれているのではないかと気になった、何回も締めなおさなければ気がすまないといった強迫的な行動をするかたがおりますが、こういったのは完全主義の権化のようなものですね。 また、神経質の人は感受性が強く、こまかいことにも気がつきます。人の気持ちも思いやることができますが、内面的に偏りますと、自分の感ずる不安感や苦痛に敏感になり、それにとらわれやすくなります。神経質の症状は、普通の人にも、時と場合によって、誰でも感ずることですが、そこに注意を集中するために、いよいよ強く感ずるようになり、ついにとらわれることになるのですね。これなど、感受性のマイナス面の代表的なものです。 また、性格については、よく外向的とか内向的とかいわれますね。神経質の人は自己内省が強く、一般に内向的なのですが、しかし、単に内向的だけではないんですね。負けぎらいであり、勝ちたがりの面もあるんです。だから、ひっこみ思案で内向的な自分がきらいであり、そんな自分をなんとかもっと外向的な人間に変えたいと思ったりします。 高良先生は、神経質の性格はひじょうに複雑な性格だといわれています。内向と外向のように、相反する傾向をもっているから、よけい葛藤も強いのですね。単純な性格の人は、神経質の人のように、悩まないのは、葛藤することも少ないからです。 性格を考える場合、このように、いろいろな特性をあげることができますが、こうした特性も結局は、人の行動をとおしてみるわけです。その人が、どういう行動をとるか、行動のしかたといいますか、その人の行動様式を感じとって、その人の性格を判断しているわけですね。 行動様式は一人ひとりそれぞれ独自なものです。行動のくせ(・・)と言い直してもよろしいでしょう。くせ(・・)というからには、習慣化されたものですね。とくに努力しないで、なに気なしにしている行動にみられるものですね。そういう行動にこそ、人の性格があらわれるのですね。 私たちが、気分本位でなく、目的本位だ、目的本位だといって、自分を戒め努力しているうちは、まだ性格的なものになっていない段階なんですね。とくに努力しないで、目的本位の行動がとれるようになったとき、はじめて性格的なものになったといえるでしょう。それまでは、やはり努力をつづけなければなりません。 目的本位が性格的なものになったとしても、安心はできません。性格は変わるのですから、いつまた気分本位になるかもしれません。私たちは生涯にわたって、学習し、自分をふりかえることを怠るわけにはいきません。 はじめに申し上げたように、人間の行動には、判断とか選択があります。何か目的があります。判断とか選択は、その人の価値観や人生観によって違ってくるでしょう。しかし、価値観や人生観が同じでも、行動様式まで同じだとはいえません。一人ひとりユニークです。そこのところを、少し考えてみましょう。
|



