こうして症状から解放された(論文)
| エッセイ 森田博士の思い出 (4)/ 河原 宗次郎 (森田入院療法体験者、額縁商・神田「草土舎」創業者、1901~2002) |
| 物の性を尽くす 森田先生は無駄なことはいっさいしない人でした。人を叱るにも、その叱ることが、叱られた人にとって役に立つかどうかを考えて叱っていたようです。 飯をたくことも重要な作務の一つでした。三人一組で炊事当番がまわってきたように記憶していますが、早くから作業にはとりかかれませんでした。決められた時間内に炊事をすべて完了するようにという合理的な考えからでしょうし、また公案のひとつでもあったでしょう。薪はいっさい使わず、古新聞と落葉を燃料としました。いずれも燃えにくいもので、工夫して上手に燃やさないとご飯はたけません。 晴天の日と雨天の日の炊く米の量も変えていました。晴天の日は戸外の作務が多いから、米の量を多く、雨天の日は室内の作務が中心ですから減らすという具合でした。 お茶のためのお湯をわかすのも合理的でした。火鉢の真中には大きなヤカンをひとつ置き、そのまわりに小さなヤカンをいくつか置いて、人数に応じて小さなヤカンを加減していました。昔、田舎などで使った熱を逃さないように紙でつくった覆いも使っていました。 私が階段の拭き掃除をしていた時のことです。ほうきを無造作に立てかけておいたところ、先生の奥さまは、ほうきの穂の方を上に向けて、立てかけ直されました。ほうきは穂の方を下に向けて置くとその重みで穂が曲がったり、いたんだりしますから、当然のことです。奥さまからもいろいろご指導をいただきました。 夜なべに新聞もみもやりました。古新聞を適当な大きさに切って手でもんでやわらかくし、それをトイレット・ペーパーとして使うのです。破らないように、やわらかくなるまでもむには、工夫と注意が必要です。そういえば、朝洗顔するとき、ハミガキ粉はいっさい使いませんでした。せいぜい塩を使うくらいでした。 先生は教材としてうさぎやにわとりを飼育していました。近くに青物市場があり、エサの野菜くずを拾いにいかされました。野菜くずのなかに、人間が食べられそうなものがあると、それが食卓にのぼることもありました。 先生は私たちをお供にして、自動車でよく出かけられました。そのとき先生は必ず「自動車に乗るときは足を前にふんばって、体を座席の後ろにくっつけて乗りなさい。車が衝突してもケガを防げるから」といっていました。今のシート・ベルトを着用する心がけとまったく同じことをいっていたわけです。 先生は散歩するときも私たちをつれて歩きました。そして実地指導をしました。先生のやることにはまったく無駄がありませんでした。物の性をつくすことを実生活を通じて教えたのです。
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