こうして症状から解放された(論文)
| エッセイ 森田博士の思い出 (3)/ 河原 宗次郎 (森田入院療法体験者、額縁商・神田「草土舎」創業者、1901~2002) |
| 「お使い根性」をきらう 私が入院したのは若葉の季節でした。病院の庭は広いので、庭掃除も多くの作務のうちのひとつでした。ある日、私が庭掃除をしているとき、先生から名前を呼ばれました。先生から声をかけられることは、入院している者にとって何よりもうれしいことでした。それは治そう、治してもらおうという目的があって入院していたからです。 先生は和服を着て、縁側で籐イスに座っていました。そして、私に近くにあった植木鉢をどけてくれと命じたのです。私は「ハイ」と返事をして、他の場所に鉢を移しました。ところが先生は「そこはいかん」とおっしゃったので、また他の場所に置きかえました。また「そこはいかん」と言われた。そんなやりとりをしているうち、どこへ置いていいのやらわからなくなり、鉢を持ったままうろうろしているうち、先生は奥へさっさといってしまわれた。先生が「どこそこへ置け」といわれれば、その通りにするのですが、おっしゃらない。鉢をかかえたまま、立ちん坊を余儀なくされたわけです。 今でこそ、私に対する先生のご指導であったことはわかるのですが、そのときはキツネにつままれたような気持ちでした。鉢をそこへ置けといわれたら置く、鉢をあそこへ置けといわれたら置く、先生はこれを「お使い根性」といって嫌いました。 人から言われたことだけをやるのならば、子どもにもできる。思慮分別のつく人ならば、先生の方から見て、その鉢をどこへ置くのが一番いいのかを考えて置くはずです。たとえ、その鉢を置いた場所が先生が気に入らないとしても、よく自分で考えてのことでしたら、先生は何もおっしゃらなかったと思います。先生の方から答えを出さないで、患者に答えを出させるやり方は心にくいばかりです。禅でいう公案だと思います。森田先生のデリケートなご指導の仕方を今になって垣間見る思いがします。 これも私が庭掃除をしているときでした。そのころの私は、古手の中に入っていましたが、新しく入院した人たちが先生の講話を聴いていました。私も勉強して早く治したいという意欲がありましたから、どうしても聴講したい。そこで、私は障子を開けて聴いてしまったのです。ところが、私は先生に大変叱られました。先生の話を聴いて、一日も早く治そうと努力している自分が、叱られた、当時の私にはその意味がわかりませんでした。 森田先生のところでは、日常の生活を重視し、患者にいろいろな仕事を与えていました。庭を掃除する、畑を耕す、庭木のせん定をする、ごみを埋める、穴を掘る、新聞紙をもむなど、各種の作務が治療法の一つであったからです。 したがって、先生の話を聞くだけが勉強ではなく、日常の作務も重要な勉強であったわけです。「森田のところへいくと高い入院料をとったうえ、入院患者を召使いのように使って、森田とはいったい何者だ」と悪口をいう人もあったほどです。
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