こうして症状から解放された(論文)
| エッセイ 森田博士の思い出 (2)/ 河原 宗次郎 (森田入院療法体験者、額縁商・神田「草土舎」創業者、1901~2002) |
| 神経質でよかったと森田先生に感謝 病院では一週間の臥褥から始まり、軽作業などの作務が続きました。作務は庭が広いのでいろいろありました。作務中は朋輩との話は禁止されていました。四十日間、私は森田先生の厳しいご指導を受けたわけです。 その間、女房は一週間に一回、入院費を持って病院にやってきました。女房のサイフの中身は私が一番知っていたので、気の毒でした。しかし、症状は一向にはっきりしない、早くいえば治っていないわけです。自分のフトコロと女房の苦労を考えて、私は四十日たったところで先生に「帰らせてもらえないか」と申し出ました。厳しい先生のことだから、私がひとたびこの病院を出たら二度とご指導を受けられないと覚悟をしたうえで、先生にお別れを申し上げにいったのです。ところが先生は「うん、帰るか。悪くなったらまたこいな」と私にとっては入院して初めてとも思える温かいことばをかけてくださいました。私は絶体絶命だと思っていたので「またこい」と言われるとは思っていなかったからです。こうして私は喜び勇んで自宅に戻りました。 自宅には戻ったものの、症状のほうは依然としてはっきりしない、苦しくてしょうがない。私自身には治ったという実感がないのです。ところが女房や店のものたちが「人相がよくなった」とか「肥って健康そうになった」と言ってくれたのです。四十日間の先生のご指導で、客観的に何か変ったところがあったのだと思います。 退院後、一週間ほどして、私が私の店の店頭に立って働いていたら、先生が突然店に入ってきました。先生は私を見るなり「元気そうだな」とひとこといい残してそのまま帰ってしまいました。当時の私には、先生の言動の意味がよくわかりませんでしたが、今になって思えば、それほど私を心にとめてくださり、見守っていてくださった先生のお人柄がしのばれるのです。森田先生のご指導で、私はその後立ち直り、以後精神的にも幸せな生活を続けています。今でも毎朝、森田先生の胸像に向って手を合わせています。 悩みを深めていたときは、私の細かい神経を悪いものと思っていましたが、今では細かい神経を持って生まれてよかったと思っています。細かい神経がマイナスに作用するとやっかいになりますが、細かい神経を持っていたからこそ、女房や家族、店の人や地域の人に細かい気配りができたのだと思います。それを森田先生に教えていただいたのです。気配りとは人にグチや悪口を言わないことです。人間は感情の動物ですから、面白くないことやいやなことはたくさんあります。しかし、それを口に出してしまったら終わりです。口に出さなければ消えてしまいます。このような気配りができるのも神経質のありがたいところです。
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