自分を知る安定感/ペンネーム 琵琶湖太郎

(幼少期)

僕の症状は、対人恐怖と抑うつです。2人兄弟の二男として生まれ、活発で恥ずかしがり屋な子供でした。小学校高学年の頃に授業中に本を読む時に声が震えるようになりましたが、それにとらわれるということはありませんでした。ごく一般的な普通の子供だったように思います。

 

(症状が出始めた頃)

症状を発症したのは17才の時でした。友達との約束を守らなかったことがあり、責め立てられることがありました。その時に笑ってごまかそうとしたのですが、顔が硬直してしまい顔の筋肉が全く動きませんでした。笑おうと思ってもどうしても笑えずにとても大きなショックを受けてしまいました。こんな状況でも笑えるはずだったのですが、現実には笑えませんでした。この理想と現実のギャップを受け止めることができませんでした。次の日、朝起きてすぐに笑えるかどうか確認しましたが、まだ、顔の筋肉が思うように動かず笑顔が作れませんでした。それ以降、人と関わるのが苦痛になり学校へ行くことに非常に緊張するようになり対人恐怖が始まりました。それに伴い抑うつもでてきました。

 

(青春期)

高校を卒業してからは専門学校へ行きましたが、ある授業で本読みの順番が回ってくる恐怖感、緊張感に耐えられずに学校を辞めてしまいました。その後はアルバイトをいくつかしましたが、辞める時はいつも無断で辞めました。辞めたいと伝えることが苦痛なのと、辞めたくなればすぐに投げ出してしまいたいという抑えが利かない面がありました。人と対する時はうまく笑えるか、とにかく笑顔にとらわれていましたし、駅で電車を待っている時は向かいのホームの人の視線が気になり、泣きそうな表情になることがよくありました。いつも漠然とした恐怖感、不安感、緊張感、憂鬱感がありしんどかったです。症状があるままの幸せなんてありえませんでしたのでいろいろと治す試みをしました。心療内科への通院、合気道、呼吸法、催眠療法、瞑想。でも、なにをしても症状はなおりませんでした。

自分の状態というものがどういうものなのかという理解が全くなく、常に症状を発症する前の自分が本当の自分だという思いに支配されていました。症状を発症する前も、自分の中にはいろんな面があったはずなのに自分の中の強い面や、明るい面ばかりが強調されていき、更に、頭の中の理想も現実であったかのような感覚になっていき、症状を発症する前の自分というものが虚像の人物になっていきました。理想の自分が本当の自分だと思い込んでいました。

職は転々とし、働きに出られない期間も何度かありました。

 

(森田療法、発見会との出会い)

ある時、職場の改善ミーティングで自分の意見を押し通しうまくいかなかった事がありました。自分の考えが一番正しい、良い意見を言って一目置かれたいという思いが強烈にあり実行した結果でした。それ以降、自分の意見は流されるようになり、ミーティングに対して非常に緊張し恐怖を感じるようになりました。日々の仕事でも常に追い詰められているような感覚が付きまとうようになり、耐えられなくなりまた心療内科へ行こうか迷いだしました。森田の本は以前読んだことはありましたが、その当時は理解不足でしんどくても仕事に行きなさいという言葉がとても印象的でしたが、自分自身は拒絶していました。しかし、この時は森田療法をしているある病院へ診察を受けにいきました。しんどくても仕事に行けと言うのには、何か、からくりがあるのかもしれないと思ったからです。

これが森田に足を踏み入れた一歩となりました。その後は集談会へ通うようになりましたが、最初はこういう集まりに通う自分がみじめでした。でも、とりあえず一年は通い続けてみようと心に決めていました。毎回、重い気持ちで集談会に通い、特に自分が何も発言できなかった日はみじめな気持ちで帰っていました。でも、集談会では毎回理論学習で発見誌の朗読をしなければならず、対人恐怖の僕にとってはそれだけでも小さな恐怖突入で集談会に通う目的のひとつでもありました。

しばらくして、基準型学習会というものがあることを知り受講することに決めました。学習会初日は、集談会に初めて行った時のようにみじめな思いでいました。対人恐怖の方も大勢いたのですが他の人と共感すると言うより自分程ひどい人はいないと落ち込んでいました。そんな中でも学習会に通い続けるうちになんとなく森田理論というものが分かってきました。その翌年から2年続けて学習会の世話役をさせてもらい、その中でも劣等感を感じたり、得るものがあったりといろいろと経験させてもらいました。

 

(人間性の誤った認識を修正)

今までは、漠然と症状が苦しい、治したいと思っていましたが症状は自分の意志ではどうにもできないのだということが良く分かりました。症状があってもその症状に対して苦しいとか、みじめだとかマイナスの感情がでなければ、それは悩みにならないのにと考えることもありましたが、その感情さえも勝手に湧き上がってくるもので自分の意志でコントロールできないなんて今まで考えたこともありませんでした。

でも、言われてみればたしかにそうで認めざるを得ません。こういう風に森田理論を学ぶにつれて悩んでいる自分を客観視できるようになってきました。今までの無駄な抵抗も見えてきました。

日常生活に関しても今までみたいに自分の不都合な感情に抵抗しなくなり、現実の自分に屈辱を感じることがなくなってきました。その結果、周りの人間関係も良くなってきました。そして、自分は毎日こんなにしんどい思いで仕事に行っているんだから休みの日は自分の為だけに時間を使いたいという思いが強く、家の用事、付き合いに時間を取られることに非常にストレスを感じていましたが、そういうことにも融通がきくようになってきました。こういうなんでも自分の思い通りにしたいというわがままなところが症状に苦しめられてきた要因の一つでもあったように思われます。

 

(集談会の効用/継続は力なり)

集談会に通い始め、イヤイヤながらでも続けてきたからこそ道が開けてきたと実感できます。大切なのは、実生活がいかに生きやすくなるかで、集談会、発見会活動で「感情はどうであれなすべきをなす」と言う行動体験をさせてもらい、緊張しながら、震えながら、助けてもらいながらいろいろな実体験をさせてもらった事が大きな糧となりました。

発見会活動でチャレンジし、学び、実生活で生かす。実生活では逃げ癖のある僕にとって、症状を問題視しない発見会の考え方と、症状を出しながら「なすべきをなす」と言う体験は非常に価値のあるものだと思います。

そして、日常の行動が気分本位にならないように客観視する力もついたように思います。感情に支配された行動の行く末が、症状にがんじがらめにされ、理想を追い求め、苦しんでいた状態だったと思います。今までは太刀打ちしようのない感情というものに翻弄されてきましたが、太刀打ちできないという事がまずは頭で理解できているので少しは冷静に対処できるようになったと思います。全く分からずに悩んでいるのと、分かっちゃいるけど悩んでしまうというのとでは悩み方の質が違うように思います。森田学習を通して自分なりに自分の状態がわかってきて悩みながらも安定感がでてきたように思います。日々の生活の中での考え方や感じ方も変わってきて、まだまだ、これからも変わっていくのだろうなと思っています。

 

(これから、どのように生きて行きたいか?)

現在、少しは自分や物事を客観的に見られるようになりました。ただ、自分の人生設計が明確になりいろいろな欲求がでてきたかと言うと、まだそうでもありません。

「感情はどうであれなすべきをなす」という事からの出発しかないのかもしれませんが、今まではその段階にとどまり自分の欲求から目を背けてきたのかもしれません。今でも変わっていきたいのに変化が怖い。漠然と自分はどうなっていくんだろうと思う気持ちもあります。ただ、ひとつ意識している事はふと湧き出た小さな欲求には手を出していこうということです。例えば、休日の昼にラーメンが食べたいなと思ったら食べに行く。行ったことのない少し遠い釣り具屋に行ってみようかなと思ったら行ってみる。いつも、こういう思いが湧き出た後にそれをとがめる思いが出てきます。この正反対の思いが湧いてくることも、森田を学ぶことで自然な心の働きだと分かるようになりました。本当にささいな事ですが、こういう小さな欲求を客観的に判断して叶えていく事が大きな欲求の発見に繋がっていくのかなと思っています。今は、日常のささいな欲求を流さないように意識して、その延長でもっとイキイキと生きていければいいなと思っています。

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