自分を見つめて -吃音体験から/広沢多香子 (仮名)

生い立ち
私は三人兄妹の末っ子として生まれました。
父は銀行員をしており外交的な性格で人脈も広く、飲み会に行ったり、休日も出かけていることが多い人でした。母は美人でいつも明るく、几帳面で何事にもしっかりしています。
兄とは10年、姉とは9年離れて自分が生まれたので私自身、実感はあまりありませんでしたが、子供の頃から相当可愛がられて育ってきました。家族から怒られたりしたことはほとんどありません。
子供の頃は活発な子供でした。小学校でも男の子を殴ったりするほどでしたが、ある日男の子にクラス全員の前でそのことを指摘されて、みんなに笑われたことがあったのです。その時、とても恥ずかしかったのを覚えています。それから私は大人しい子供になりました。

子供の頃の神経質な傾向としては、私は取りこし苦労が多く、家族以外の方から「心配性だね」と言われたことがあります。あとは寝る前、部屋の中のものを決まった位置に置かないと気になって眠れないといったこともありました。
私は今でもそうですが子供の頃、家族や親せきの集まりではまったく話ができませんでした。親せきとほとんど会話をしたことがありません。いつもぎこちなく終わります。それがいつも悲しくて悔しかったです。従妹とは幼少期は仲が良く、よく遊んでいたのですが、気が付いたらまったく話をしなくなってしまいました。

高校時代
自分の考え方が少し変わってきたのは高校に入学してからでした。
私は中学生までは大人しい子供でした。しかし心の中で明るくて友達がたくさんいる人がうらやましく、外見も派手な感じに憧れていました。そして高校に入ったら、自分を知っている人も少ないし、違う自分に生まれ変わろうと思っていました。今までの地元の友達なんかもういらないと思っていましたし、これからはあまり関わる気はありませんでした。今から思えばずいぶん身勝手な考え方をしていました。

社会人になってからひどくなった吃音
私は今、吃音に悩んでいます。例えば「はい」と言う時、「は、は、は、はい」というようになってしまいます。「ない」や「愛」など、母音が「あ」「い」と続くものが言いづらいです。
私の吃音は子供の頃はまったくありませんでした。気になり始めたのは高校時代からです。
名前が言いにくい先生がいらっしゃって、同級生と先生のことを話しているときにどもったことを覚えています。しかし、吃音のことは、ほとんど気にはしていませんでした。
大学時代、コンビニでアルバイトをしていた時は、お客様の支払い方法にある「エディ」という言葉がなかなか言えなくて困ったり、「またお越しくださいませ」の「お越し」が言いづらかったりと支障が出てきて、大人になるほど気になりだすようになりました。
吃音がひどく気になり始めたのは2年前からです。私は物流センターで入荷の仕事をしており、そこで通常の業務とはまた別の商品の入荷作業をまかされることになりました。
その作業をしていると、とても吃音がひどくなりました。私は人がたくさんいる騒がしい所や騒音がひどい所で吃音がひどくなります。その入荷作業はトラックがすぐ近くに来る場所で行っていました。それゆえ荷物の搬入をするときのフォークリフトの音だとか、ごみ収集車の音などが大きくてうるさく、かなりのストレスになっていました。
そして私はリフトに乗っている人に話しかけるのがなぜか緊張するので、そういう時にひどく、どもりました。この入荷作業は通常の業務よりも精神的にも体力的にも負担が多く、私はかなりのストレスを抱えていました。吃音になりながら大きな声でリフトの方に話しかけるのは、ものすごく嫌でしたし、惨めで、情けなくて、とても恥ずかしかったです。

発見会との出会い
生活の発見会のことは、メンタルヘルス岡本記念財団のHPから知りました。
そして集談会に昨年の8月から参加させて頂いております。
集談会に参加して、自分のつたない話を聞いてもらい、皆さんに優しく温かいアドバイスを頂きました。皆さんの経験談などもお聞きして、とても参考になりましたし勇気づけられました。
私は吃音が出るのが恥ずかしくて、話は絶対流暢に、どもらずにきれいに、リズムよく話さなければならないと思っていました。しかし集談会に参加し森田理論を学ぶ中で、言い方や伝え方は関係なく、必要なことが相手に伝わることが一番大事だと知りました。恥ずかしさや惨めさは消えませんが、そのことを学んで、どもったことよりも自分が相手に伝えるべきことを伝えられたという事実を認めて、自分をほめてあげることができるようになってきました。この時期になって初めて人間性に対する誤った認識と、それが正されるという意味が分かってきました。

病院の受診
私は森田療法の治療をしてくれる病院に通院しています。そこでいつも1時間ほど、自分が書いてきた日記を臨床心理士の先生に見てもらう日記療法を受けています。私はこの日記療法でも自分の誤った認識が大きく修正されました。

私はグループの中で発言をするのがとても苦手です。ものすごく緊張しますし、発言するのにとても勇気がいるのです。それなので私はグループでいるといつも一言も話せません。
私は、グループの中にいるとき、絶対自分もなにかしら発言しなくてはいけないと思っていました。何も話さない人なんて見たこともないし、普通の人は絶対みんな発言してうまくコミュニケーションをとっているのです。私だけ黙ったままで、他人に変に思われることがとても怖かったのです。今もとても怖いです。

ある日の日記で、職場の送別会があったことを書きました。私はそういう集まりが、本心ではとても大好きで楽しみなのです。けれども、その反面激しく緊張してしまうので、行きたいけど行きたくないという複雑な気持ちになります。日記に『本当に勇気がなくて話に入れない。』と書きました。先生が手書きでコメントを書いてくれるのですが、『「話に入る」のではなく、一生懸命話を聞くことです。緊張しながらその場にとどまり、緊張しながら一生懸命話をきいていたらそれでいいのです。』とコメントしてくださいました。私は本当にそれだけでいいのかな?と思いました。しかし言われた通りに、とにかく一生懸命話を聞いていると、だんだんと自分の緊張のことより相手の話の内容に気が向くようになってきました。

今後の夢や欲求
私は英語が大好きで、今CDで英語を聞き流す教材で毎日勉強しています。
英語を聞いていると、日常を忘れられ気分転換できます。
私の夢や欲求は、英語を使った仕事に就きたいということです。できれば英語を話す機会のある仕事をしたいのです。今は何となくですが、英語の翻訳の仕事が気になっています。
私は大学を卒業させてもらったのにもかかわらず、正社員として就職する気持ちがなくアルバイトでよいと思っていました。今まで正社員になったことはなく、アルバイトしかした事がありません。
今になって、それが私の中でものすごくコンプレックスになっているのです。大学まで卒業したのにアルバイトをしている。しかも、もういい年齢なのです。
私の中には、普通の人ができないような英語の仕事をして世間から認められたい、社会から認められたいという気持ちがとても強くあります。英語の仕事に就く事はとても難しいことと思います。それだから小さな目標をひとつひとつ達成していこうと思います。具体的には字幕なしで洋画を観れるようになることと、英語の本を読めるようになることです。

今後の発見会との関わり
担当の臨床心理士の先生が、「集談会はみんなの前で発言する体験の場にしてほしい。」と仰りました。私は集団の中で発言したり、発表したりするのがとても苦手です。発言するのが異常に緊張するし怖くて勇気がありません。それなので先生の仰られたように、集談会のとき、人前で発言することを体験の場にさせてもらい、そして幹事の役目をまかさせてもらっているので、頼りない自分ですが与えていただいた役割を果たしていきたいと思っています。また生活上、必要なことをやっていくことや社会から認められたいという欲求に沿って生きていくことで結果として症状が改善すると思っています。そして、毎月の発見誌からも学ぶことが多いので、日常の中で悩み行き詰まったときは発見誌を参考にしたいと思います。

代表的な体験談を 集めてみました
どうして自助グループ活動
なのでしょうか
一度
、会を見てみたい方は
こちら
生活の発見会の
入会手続きはこちら
お近くの発見会はこちらから