不安の先に / 西川優子 (仮名)

私は、27歳の公務員です。
小さな頃はおしゃべり好きな子でしたが、小学校中学年頃を境にいくつかの要因が重なり、徐々に引っ込み思案な性格へと変わっていきました。
人から嫌われることを過度に恐れ、相手の一挙手一投足に気を配り、顔色の変化に怯え、心を許せる人間関係をなかなか構築できない自分のあり方に悩むようになりました。
そして、起こるかもしれないあらゆる最悪の事態を想定しては、悲観的になっていました。

学校生活と神経症

過疎化の進む山間の村で長女として誕生した私は、弟と共に過保護な両親、祖父母に大切に育てられました。
中学校までは1クラスだけだったため、同級生とは小さな頃からの顔馴染み。クラス内において対人関係のつまずきを感じることはありませんでしたが、
中学校の部活動では他校との交流があり、このとき始めて人と話すときに緊張する自分を強く意識しました。
高校入学後も、大人しいなりにクラスメイトとは会話はとれていたものの、気軽に軽口を交わせる友達は限られていて、休み時間には自席で読書をしていることもありました。
高校卒業後の進路は、ちょうどその頃、独立した同僚に引き抜かれた父の仕事が軌道に乗らず、進学は経済的に厳しい状況でした。
担任の先生からは「国公立も狙える。」と言っていただき、有利な奨学金を紹介いただいたりと苦労をかけたのに、結局私は公務員試験1か月前に就職の道を選びました。
家計のために就職するというのは建前で、本音は大学生活で見ず知らずの子と、うまく友人関係を築いていく自信がなく、その不安を避けるためでした。
将来の夢のために進学することを犠牲にしてまで、当時の私は目先の人間関係から逃れることを選択しました。

神経症の発症

私の神経症がピークに達したのは、就職して4年目のことです。
始めての転勤による土地勘の無い場所での生活。業務は秘書。周囲は国立大学卒の面々がそろう中で、上司はエリートでした。
だんだんと周りと打ち解けられない自分に自己否定感が強まり、さらには学歴コンプレックスも加わり、自信が持てなくなっていきました。
電話が鳴るのが怖い。接遇に緊張する。赤ら顔になる。上司の態度や顔色にばかり意識が集中し、振り回される日々。
ドギマギする自分を変に思われているのではないか…と気にすればする程、それにとらわれてますますオドオドしてしまう。悪循環でした。
オドオドしてしまう自分に意識が集中すると、思うように自分の主張が伝えられず、昼休みも一人ぼっちで寂しく、人と会話をするのが困難で苦痛でした。
とにかく、ただ人が恐ろしかった。
8キロ痩せ、帯状疱疹を患った私は、自分一人の力ではどうしても負のスパイラルから抜け出すことができず、23歳の時に心療内科の門を叩きました。
「社会不安障害」と診断され、抗うつ薬と抗不安薬の服用が始まりました。
服用後すぐには効果は感じられませんでしたが、2週間もすると今までの不安が嘘のように消えていきました。
しかし、服薬も半年が過ぎると、死んで楽になることばかりを考えるようになりました。
不安の発露として、リストカットが始まりました。左腕のひじから下は、刃物が入る隙間がないほど細かく切り刻んでいました。
不安を消すためには、何か別の感覚(痛み)でそれを封じなければ、気が狂ってしまいそうでした。

集談会への参加と断薬

24歳のときに、インターネットで検索した集談会を見学に行きました。
オドオドして上手く自分のことを伝えられない私を、皆さん温かく迎え入れてくださいました。
書籍や体験談を読み進めていくうちに、私と同じ症状で悩んでいる方が数多くいることに共感し、とても救われました。
森田先生の言葉は、凝り固まった固定観念を覆し、常に目からうろこでした。
そして、私の症状は病気ではないと気づいたとき、将来生まれてくるかもしれない子のために、服薬により体を危険に曝している毎日にピリオドを打ちたいと切に思いました。
私の神経症が改善の兆しを見せたのは、この翌年に25歳で基準型学習会に参加したことが大きな転機となりました。
今までの思考の癖を見直し、不安いっぱいでオドオドしてしまう自分を、オドオドしたまま、あるがままで、人と接したい欲望に乗って行動すれば良いんだと少しずつ認められるようになっていきました。
周りは私が思っているほどには、誰も私のことを気にはしていないものだったのです。
私は皆に受け入れてもらいたい、関わる全ての人からよく思われたいと思うあまり、相手に合わせたその場限りの言動を取ることが多く、本当の気持ちを伝えることができていませんでした。
思い込みが強く見栄っ張りだった私は、仕事を一人前にこなしたい、自分の周りは笑顔溢れる空間がいいという思いがありました。
基準型に参加したことにより、今ある自分を受け入れられるようになった私は、26歳のときに結婚しました。
森田に若くして出逢えたことは、私にとってとても幸運で幸福なことでした。

現在

負けず嫌いな私は毎日出勤し、周りの誰にも相談せず気丈に明るく振舞っていました。
しかし、異変に気付いた両親、友達はずっと心配してくれていました。そして、主人にもたくさんの心配をかけました。
私は、決して一人ではなかったんだと気付かされました。
今では自分から先に「引っ込み思案」、「人見知り」だと打ち明けています。そうするとリアクションに困ったとき、幾分か気持ちが楽になります。
少しずつ本来の自分でいいんだと思えるようになるにつれ、相手のペースに無理に合わせる必要もなくなり、反応が期待どおりでなくとも自分を責めずに済むようになりました。
不思議なことに嫌われてもいいやと思えた今、案じていた程に、うとまれることはないものです。
対人関係に落ち込むことも、もちろんあります。気持ちのアップダウンはまだあります。まだまだ不安に足がすくむときもあります。
さもすると堂々巡りを始める私なので、これからも発見会に参加し、軌道修正を加えながら自分を闇雲に責めることのないよう森田を学び続けていきたいです。
そして神経症に生まれた私は、私が体験してきたことを、今神経症のまっただなかにいるかたに伝えていけたらいいなと思います。大丈夫だよって。
私が発見会に加入し、集談会で出会った方や体験談にたくさんの勇気と励ましをもらい、認識を改めながら1歩ずつでも前を向いて歩いていけるようになったように。
主人に辞めてもいいよと言われた仕事は続けています。人と接することは今だって怖いですが、社会と人と繋がっていたいんです。
取越し苦労の絶えない心配性の私ですが、それでも“為すべきことを為し”ながら、周りの人を大切に、日々歩んでいきたいと思っています。

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