視線恐怖を乗り越えて/N.T

・生まれ、幼少期~中学校
私は、両親と妹の4人家族で育ちました。しかし、父は長期の出張がほとんどで家を不在にすることが多く、母親が一人中心となり育てられました。 母親はどちらかと言うとヒステリー性の性格で、昨今だったら虐待になりそうなほど怒られたり、叩かれたりした記憶があります。クラスの中でもとびきり落ち着きがなく、イタズラばかりする私だったので、非常に育てにくかったことかと思います。
 小学校低学年の頃は、ほとんど勉強もせず外で遊んでばかりいました。なにかイタズラをして、学校からよく家に連絡が行っていたものです。
5年生頃に、あまりにも勉強が出来なかったので、先生から家に連絡が行き、母にめちゃくちゃに怒られ、そこから急に勉強に目覚めた記憶があります。
中学時代は、いつも試験で完璧を目指し、隅々まで暗記したり、数学の試験で、計算間違えしていないか不安で、時間があるときは2回以上同じ問題を解いていました。そんなふうだったので中学時代まではいつもトップクラスでした。

・高校時代、神経症の始まり
 高校に入り、高校受験によって同レベルの成績の子が集まってくることもあり、中学校時代のように試験の順位でいつもトップクラスに入るのが難しくなったこともあり、自分は駄目なやつだ、と思う劣等感にさいなまれるようになりました。そうしたことが要因となり、授業中にふとすぐ隣りにいる子の視線が異常に気になるようになりました。自分の視野が広くなったのかとか、自分だけなんでこんなことになるのだろう、とかいろいろ考えた記憶があります。そこからどんどん視線にとらわれるようになって行きました。人とすれ違うときの対面からくる人の視線だったり、図書館で対面に座った人の視線であったりと。

・大学時代、神経症の苦しさのピーク
 大学に入学しても視線恐怖は続きました。そしてどんどんと悪化していました。日常生活に影響をおよぼすところまで来ていました。
 講義を受けようにも、講義をしている先生の視線がこっちに向くのが気になり、席も一番後ろの隅っこに座り、寝たくもないのに、顔を机に伏せて寝た振りをせざるを得なかったり、目線の置き場に困ったので、いつも形見の狭い感じでガチガチに固まっていました。そんなこんなでまともに授業も聞けなかったので留年するはめになりました。

・精神安定剤依存
 大学時代、図書館でふと神経症関連の本をたまたま手に取る機会があり、そこで自分の症状が、自分だけに起こっている異常なものではないことを知ることになりました。そして精神科に足を運ぶことになりました。精神科に行き、精神安定剤を処方され、それを飲むと視線恐怖が楽になり、対人関係も楽にこなせ、おまけに気分もハイになることをしりました。そして、邪魔な感情を排除し、楽に行動できるようになる精神安定剤に依存するようになっていきました。

学生から社会人になり会社勤めすると、自由がなくなることもあり、いつまでも症状のために逃げてばかりいられないことが多くなりました。しかし、薬を大量に飲むことで何とかギリギリやりくりできていた感があります。自分以外の他人の目が自分の視界に入ってくるだけで視線恐怖の症状に苦しめられるので、それを消すために2時間おきに、薬を飲むはめになっていました。

・安定剤断薬
 薬がないと動けなかったり、外に出られなかったりするようになってきて、いつも財布の中には、大量の薬をいれて持ち歩いていました。薬を飲んでいるところを人に見られるのは嫌だったので、いつもトイレの個室に行き、薬を歯で噛み砕き、舌の下に含ませて、まるでラムネ菓子のように、薬を飲んでいました。このようすると、速く吸収されることも経験から知って行ったのでしょう。
 これだけの薬を手に入れるため、病院に5軒以上かかり、毎週のように病院をはしごしていました。
 この当時、薬の量は、最大限度量の7倍に達していました。それだけの薬を飲まないと効かなくなっていたのです。
 これだけの薬を飲んでいたので、この当時の自分の写真を見ると、目の周りがどす黒くなっていて、顔色が悪く、まさにヤク中の人って感じです。それに、体もなんとなくすっきりしない感じで、いつもだるかったように思います。歯ももろくなっていた記憶があります。なんとなくルーズになっており、身の回りのこともきちんと出来ず、だらしなくなってもいました。
 こんなことから、いつも薬を止めたいと思い続けていました。普通の生活を送るのに限界が来ていました。
 
 とある時、仕事でむしゃくしゃすることがあり、それをきっかけに会社を半年休んで一気に薬を止めることにしました。病院に行くと少しづつ減らせと言われたが、それは今まで何度もトライして不可能だった経験上、自分にはは無理だと思い、一気に止めることを選びました。
 幻聴から始まり、幻覚が突然ひっきりなしに起こったり、ものすごい気分の悪さ、この世の地獄と言わんばかりのことが一週間ぐらい続きました。
 もう、自分は普通の生活は送れないかもといった絶望を乗り越え、薬をやめることに成功しました。
・神経症の再発
 薬をやめると、全神経が過敏になっていました。手触りが嫌で本もめくれなかったくらいでした。すべての感覚器官がものすごい量の情報を送ってきているような感覚でした。         そして、薬で押さえつけていただけの視線恐怖も復活してきました。10年近く薬を飲み続けて来ましたが、全く神経症は良くなっていなかったのです。
本当に治すためには、やはり考え方だとか行動パターンを変えて行くようなの自己改善が必要だということだったのです。

・発見会入会
 薬を断ったのち、再びひどくやってきた神経症にもがき苦しみ、自分の心に少しでも良いものを、と求める中で発見会の存在を知りました。発見会には自分と同じような悩みをもった人が沢山いました。
同じ悩みを克服されてきた諸先輩方に、自分の話を聴いてもらったり、アドバイスをいただくという機会を初めて得ました。悩みを第三者を通して客観的に見てもらい、いろいろな意見を得られたことで、いかに自分が歪んだ考え方や認識をしていたか、ということがわかったのです。
具体的には、自分で自分の感情をを否定していた、ということに気づきました。人目が気になるかっこわるい自分という、恥ずかしい感情を異物視し、自分の中でいつも押しつぶして感じないようにしていました。さらには、感じないように気にしないようにしていたことで、そういう感情があることすら気づいていなかったように思います。
また、自分が人目を気にすることが許せなかったために、こちらを気にされたり、見られたりする他人のことも許せなかったのです。こんなことから、自分の方に視線を向ける他人に対して、敵対心を抱いていたので、こちらの表情も悪くなるし、自分の方に向かってくる視線も同じように敵対心を含んだ嫌なものばかりになっていました。

そして、集談会や基準型学習会などに、継続的に参加し森田理論を学ぶなかで「感情はコントロールできない。気になるものは仕方がない。」と言うように考え方も変わってきました。それに伴い、人目を気にするということに対して、許容範囲が広がって行き、結果的にとらわれて過度に視線が気になるということはなくなっていったのです。

・現在、そしてこれから
 神経症という、感情的に激しい苦しみや痛みに、打ち勝ち、克服できたことから、人間的にも少し成長できたように思います。森田の知恵を日々の生活の中で応用する事によって仕事においても充実感が増しました。そして以前よりも仕事の成果も上がるようになり、周りから評価してもらえるようになりました。森田理論のおかげで本当に自分がいい方向に変わることができたと思います。
 発見会が、自分の一番苦しい時期を乗り越える時の心の支えとなり、また乗り越えたことで自信らしいものも芽生えてきました。
 視線にとらわれ続けていたことも過去のものとなり、心に余裕が生まれました。また視線が気になるということの裏返しは人とうまくやっていきたい、人に認められたい、と言うことだと思います。以前は自分の方ばかり向いていた注意も、外へ向くようになり、人の役に立てる喜びを感じられるようになりました。

 今後は、どんな小さなことからでもいいので、人の役に立つ喜びを日々感じながら生きていけたらいいと思っています。そうしていくことで、自分も気持ちよくいられるし、やるべきことにもベストが尽くせ、結果も良いものになっていくのではと思っています。

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