絶望と再生

                           杉村 春路

「死ぬことすらもできないのか・・・」
右の手首にカミソリを何度も何度も押し付けた後、私は心の中でつぶやいた。手首にはカミソリの跡が残り、小さな血がわずかに滲んだだけ。神経症で、人一倍生の欲望が強かった私は、この世からいなくなることさえできない、小さく無力な存在だった。

“なぜ自分が?“”なぜ自信を取り戻せないのか?““なぜ?なぜ?”こんな自分なら消えてしまいたい・・・
16歳の冬、あることがきっかけで対人恐怖(醜態恐怖)を発症、その後鬱病を併発し、11年間神経症を治すことが生きる目的の全てだった。高校卒業後2年間の引きこもりをし、九州の病院に入院、その後森田療法を求め、東京・静岡の病院に入院したが、完治することはなかった。もう大丈夫だと思って退院しても、少し経つとすぐに再発してしまう。一日中症状のことを思い出しては、書籍から得た知識や思い付いた症状撃退法を試す日々が続く。出口の見えない、囚われの世界を生きる時間が11年間続いたのだ。
私の青春時代は全て神経症と共にあり、あらゆるものに救いを求め続けたが、どれだけ足掻いても、もがいても、もがいても・・・その先に光を見出すことは、私にはできなかった。

回復のきっかけ

いつまで経っても症状が改善されず、自己否定が極限まで達し続けていた私は、社会人2年目の冬、ついに手首を切り始めた。このままでは本当に死んでしまうかもしれないというところまで追いつめられた私は、やむを得ず当時の上司へ全てを告白した。大の大人が号泣する姿を、上司はどう思っただろうか。しかし人生は分からない。結果的にはこの出来事が、私の神経症人生における大きなターニングポイントとなったのだ。
本格的に回復が始まったのは、その告白の後からだった。あの日私は、誰にも見せたくない、みじめで格好悪い自分を、初めて他者の前で曝け出すこととなった。後々考えると、このことは神経症克服へ近づく為の道しるべをいくつか示していたように思う。
一つ目が、「諦め」だ。上司へメンタル疾患を伝えることは、その会社での自身の将来を閉ざすことと同じだ。「こうなった以上、誰にどう思われようとももう何でもいいや」という諦めが自身の深い部分で本格的に少しずつ芽生え始めるきっかけとなった。
 二つ目に、なるべく自分を「隠さず、曝け出す」こと。コンプレックスは隠そうとするから肥大化し苦しみに変わる。苦しみは、隠すものではなく見せるものなのだということに初めて気が付いた。怒りや苦しみは見せてはいけない、と無意識に思い込まされていないだろうか?
ともあれ、私にとっては直面したくない、「劣等感」「自己否定」「怒り」などの感情を少しずつ表現できる自分が戻ってくるにつれ、自分を苦しめていた何かから徐々に解放されていった。
とはいえ、もちろん一気に回復したわけではない。これまで、良い時と悪い時のあまりにも大きかった調子の振れ幅が、ほんの少しずつ緩やかになっていったということだと思う。本当に少しずつ、少しずつだ。
11年間1日も休まずもがき、苦しみ続けたが、その内容を細かく訴えること、神経症を発症したきっかけや理由を探すこと、つまり神経症について考えるということは、どうあがいても答えの出ないこと、意味がないことを追い続けることと同じだと今は思っている。答えがあるのであれば、もっと前に見つかっているはずだから。

森田から学んだこと

 
たくさんの本や入院・通院による森田療法との関わりの中で、自分なりに学んだことがある。例えば入院療法では、毎日決まった時間に1日3度の食事を摂り、掃除や運動をし、他の患者の方々とコミュニケーションを取り、就寝する。たったそれだけのことなのに、症状は一時的にだが劇的に改善された。生きるために必要な行為を規則正しくやっていく中で、掃除一つをとっても「あそこも綺麗にしよう」と少しずつ自然にやりたいことが生まれてくる。不安や緊張があってもただただ必要なことをこなしていくだけで、失っていた「生きるチカラ」が湧いてきたのだ。どれほどひどい苦境に陥ったとしても、人はまた必ず立ち上がることができる、前向きに生きていくことができるのだということを体で学べたことは今後の大きな財産になると思う。長い間のどん底からスタートしたが森田療法に出会えたことで人生は好転し始めた。今後も集談会等に参加して自分自身も学びながら、入院森田で学んだことを一人でも多くの方にお伝えさせて頂けたらと思う。

克服のワケ

私なりにではあるが、神経症を克服できた大きな理由として、2つのことが特に大きかったように思う。
一つ目は、学校や仕事を辞めなかったこと。何度も辞める寸前までいったが、高校も大学も仕事も、どんなに苦しかろうと結果的にはしがみついていた。しがみついていたからこそ、回復のきっかけを神様がくれたように思う。
 二つ目は、他人のせいにはしなかったことだ。神経症や鬱病を引き起こす性格形成の要因は家庭環境などの影響が多いと言われるし、実際にそうだとも思う。ただ、私の場合ほぼ全ての攻撃対象は自分に向かっており、他人のせいで神経症になったとは全く考えなかった。両親のせいだと思っている方がいるとしたら、本当にそうなのか考えてみる必要があるかもしれない。両親も、きっと苦しんできた弱い人間なのだから。

私は今、新しい仕事に就き、新しいミッションを掲げ、迷いなく仕事に取り組んでいる。囚われから少しずつ解放され、人生の目的が「神経症を治すこと」から他のことへ目が向き始めたとき、転職は私にとって必然の選択だった。人より悩み、苦しみ抜いた分、その反動も大きいのだと思う。
人生、一寸先は闇ではない。光だ。今現在、発見会を始めとする以前の私と同じように悩んでいる人・苦しんでいる人たちの為にも、私はこれからの人生でそのことを証明していきたい。

未来へ

今私は、過去よりも未来を、そして今を想う。
生きている感覚を感じることができず、明日が見えない方々に伝えたいことは、「生きているだけでいいんだよ」ということだ。これは、私の引きこもり時代に親友からもらった言葉であり、心の病に苦しむ子供たちを助け続けている「夜回り先生」の言葉でもある。
どんな人にも、生きてさえいれば、明日はやって来る。こんなにこんなに苦しいのに、生きていてくれて、ありがとう。これまで何度も死にたいと思ったかもしれないけど、生きていてくれて、ありがとう。それだけ伝えさせて頂き、終わりにしたい。
この文章を生きて読んでくれて、ありがとう。

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