長年の対人恐怖から救われた / K.Kさん (『心の健康セミナー』体験発表)

子供の頃からずっと悩んできた

 私は子供の頃から、人と打ち解けることができないということ、また思春期以降は暗い性格であることに悩んできました。30歳代で「生活の発見会」と「森田療法」に出会うまで、これは性格の問題で治すことはできない、しかし、そのままの自分を見せてしまえば、人に嫌われ、職につくこともできないと思いこみ、虚勢を張ったり、嘘をついたり、明るい性格であるような振りをしたりしてきました。社会人になっても、気を許せる友人はできず、仕事が終われば1人家に逃げ帰るような毎日で、職場も転々と変えていかざるを得ませんでした。

 私は真面目で大人しい性格の両親に大事に育てられ、学校でいじめを受けたという経験もありません。小学生の時は、一人遊びが多く、孤立しがちでしたが、マイペースを楽しんでいるというふうな大らかな面もある子供でした。中学生になったころから、周囲がグループを作って行動しているのに、その輪に入れない自分に対して焦りを感じるようになりました。声をかけてくる同級生はいるのですが、上手く乗れないというか、タイミングがわからず、友人ができません。休み時間の教室にひとりでじっと座っている時間がつらくてたまりませんでした。高校進学を機に、積極的な自分に生まれ変わろうと、テニス部に入り、明るい自分を“演出”して仲間を作ろうと試みましたが上手くいきません。毎日、自分の性格に悩み、そのことばかりにとらわれ、勉強も手に付かなくなり、落ちこぼれとなりました。こんな自分では社会に出ても苦しいばかりで、よいことはないだろうと絶望的になり、死のうとしたこともありました。

 それでも何とか学校を卒業し、就職もしましたが、やはり人間関係がうまく構築できず、孤立しました。わからないことを聞くこともできず、仕事も要領が悪く、そんな自分を周囲に悟られまいと焦り、能力的な問題で行き詰まり、逃げるように仕事を辞める。この繰り返しで私は職場を転々と変わりました。仕事が駄目なら、専業主婦となって社会に関わらないで生きていこうというもくろみで愛情のない結婚をしましたが、失敗しました。結局小さな子供を抱えて離婚することとなりました。子供の存在は、初めて私に、無条件で人を心配するという気持ちをわからせてくれました。私は家族も含めて誰に対してもリラックスした状態で接することができないでいましたから、子供は私にとって人生で初めて出会う気のおけない存在となりました。友人第一号でもありました。その子供が独り立ちするまでは頑張って生きよう、一生懸命働こうと奮起しました。対人関係のことはしばらく考えないでいられました。しかし保育園を中心に皆が誘いあってキャンプをしたり、互いの家を行き来して、子育てをしているのに対し、私たち親子はいつも二人だけで旅行をしたり、遊んだりで、かわいそうなことをしたと思います。

「生活の発見会」を知るまで
 子供が小学生になって、子育てと仕事の両立に時間的な余裕ができた頃、対人関係がうまく結べない自分という悩みに再びとらわれて、抑うつ状態になりました。自信がなくなり、特に職場などで、体が震え、言葉が出なくなり、私はいよいよ頭がおかしくなってしまったのだと思いました。インターネットカフェに通い、「精神的な病気」を検索するうちに見つけたのが、「神経症」というキーワードでした。それまで、「躁鬱病」と「統合失調症」だけが精神的な病だと思っていました。人と打ち解けられない、劣等感に支配され、仕事に集中できない。長年にわたるこの悩みも、「医学」の範疇で治療ができるものなのかも知れない。もしかしたら「治療」を受けて、私は変わることができるのかもしれない。そんな希望を持って病院の精神科に電話をしました。診察の予約が多く2カ月は待たなければならないと聞かされ、がっかりしていると「自分たちで勉強しているグループもありますよ。電話をしてみてください。」と「生活の発見会」のことを教えていただきました。

生き方を変えるきっかけとなった言葉
38歳の時に、生活の発見会の初心者向けの会に参加しました。これまでのつらかった体験を話すと、「それは、典型的な対人恐怖ですね。」と云われました。「対人恐怖」という言葉も知らなかった私は意外でしたし、私のような人が大勢いると聞いてまた驚きました。会員の大半が「対人恐怖」の悩みを持つとのことでした。翌年から自宅に一番近い集談会に通うことにしました。毎月、公民館の会議室に集まって、森田理論に関する講義を聴き、その後、小グループに分かれて悩みを打ち明けあうというプログラムでしたが、当初私は会の趣旨が理解できず困惑しました。症状の成り立ちについて、説明してもらうと、なるほどとは思うのですが、では、具体的に何をどうすれば「対人恐怖症状」を治すことができるのかはわかりませんでした。勧められた「森田」関連の本も読みましたが、答えはどこにも書いていないように思われました。

「生活の発見会」を全国的な組織へと発展させた長谷川洋三さんの本の中にある文章が私の生きかたを変えるきっかけとなりました。

 少なからぬ会員が、社会人一年生として職場で緊張と不安のうちに日を送っていると思う。とくに対人恐怖に悩む人にとっては、つらい毎日である。ほかの連中を見ると、同じ新入社員でありながら、先輩社員とさえいかにもなれなれしく軽口をかわしている。そんなのを見ると、自分ひとりがぽつんと孤立して、居場所のないみじめな思いにとらわれる。

神経質者は元来、人をないがしろにするようなタイプではない。しかし、とらわれが強いとき、それを人にさとられまいとして、虚勢をはったりすると、結果としては、人をないがしろにするのと同じになる。自分のつらい思いにのみとらわれて、人を思いやるゆとりがないからである。
 この点を自戒して、不安のままに、対人恐怖しながら、誠実に事に処しさえすれば、神経質者は自ずから兼好の言うように、過失を防ぐことができるのである。
 生地のまま、目前のなすべきことにベストを尽くす-これでよいのである。虚勢、ごまかし、冗談など一切不要である。くち下手で結構なのだ。おどおどしていて結構なのだ。なすべきことから手をはなさない限り。
 いまは苦しい。だが、必ず遠からず心から笑える日がくる。

 まるで、私に向けられた言葉のように感じました。私の事を理解してくれる人に初めて出会えたように私には思えたのです。私は私にとって「なすべきこと」とは何なのだろうか?と考えました。それまでは、人と打ち解けられないという障害を持った自分、暗い性格であることを、隠しておかなければ、社会で生きていけないのだと悲観的に考え、対人場面を避け、何か人と違う能力を磨いて生きていこうなどと非現実的な目標を立て、資格取得の勉強に精を出していました。しかし、私にとって「今」「なすべきこと」とは何だろうかを整理して考えてみると、「与えられた仕事をして、収入を得る。食事を作り、掃除、洗濯をして、子供を育てていく」これに尽きるのではないだろうか?と思い至りました。発見会に入会し、「目前のなすべきことから、逃げない姿勢」や「規則正しい生活」というアドバイスをされましたが、そんなことが、私のこの「重い」精神的葛藤やコミュニュケーション能力の欠如という問題に対して何の効果があるのだろうか?と疑問に思っていましたが、信じてやってみようと決心しました。

私の「森田式生活法」

 これは、私の「自己流森田」とも云えるつたない取りくみであったと思いますが、あえて考えることはやめて、淡々と体を動かし、仕事をこなすことに専念しました。母子家庭だからいう理由をつけて逃げていたPTAや町内会の仕事も思い切って引き受けました。食事作りや掃除といった家事も手を抜かずにやってみるとなると、私の生活は一変、忙しいものになりました。ぼやぼやしていると、寝る時間もなくなってしまいます。悩みの世界に浸っていたとはいいながら、いかにマイペースでのんびりとした生活を送っていたかがわかりました。PTAなどの会合には、積極的に関わるというよりは、ただ輪の中にかろうじて身を置いているだけで、話にもついていけず、発言もできないという状態でしたが、自分を変えてから、人の輪に入るのではなく、このままの自分で人の輪に入っていくのだと考え方を変えました。結果的にこの取り組みによって、いろいろな人と知り合うこととなり、気楽に過ごしているように私には見えていた普通の人の努力を知ることになりました。弱気で要領の悪い自分を見せてしまうことで人は私を馬鹿にしたり、相手にしなくなったりするものだと思っていましたが、ありのままを見せてしまう方がかえって人は受け入れてくれるものだと実感することが増えました。そればかりか、人はそれぞれ違うのだから、私は私でいいのではないかとも思うようになりました。私には明るくて積極的でリーダーシップを取れる人間だけが、価値のある存在であるという強い思い込みがありましたが、一見おとなしくて目立たない人の中に、芯のある強さや魅力が見いだせるようにもなってきました。誰とでも打ち解けられることこそ、素晴らしいことと思っていましたが、そうでもないんじゃないかと思い始めました。無理に多くの人とお付き合いをしなくても、ごく身近な人との関係を大切にするよう心がけることにしました。

暗い性格なのではない。

 この「森田式生活」を始めて半年ほどたった頃、体の震えや言葉がうまく出ないという最初に私が病的と捉えた「症状」が消え、奇跡のように感じました。職場で他愛もない会話ができたり、子供とふざけたり、今まで暗く沈んだ感じがした世界が急に明るく感じられ、当たり前の生活に対して幸せを見いだせたその時の嬉しかった感覚を私は今でも忘れることができません。私は決して暗い性格ではないのだと思いました。

 忙しい生活にも慣れ、余裕が出てきたので、学生の頃、挫折したテニスを再開しました。テニスがきっかけで遊び仲間ができ、壁をひとつ越えさえできれば、私は人が好きで、人懐っこいということがわかってきました。「森田療法」についてもっと知りたくなり、本を沢山読み、発見会に積極的に参加するようになりました。発見会活動の一環として、人と長時間にわたり議論し、長文のメールをやり取りするようになりました。「自分は何でこんな人間に生まれついてしまったのだろうか?」「どうしたら人と打ち解けることができるのだろうか?」-長年にわたり、思い悩んできた私には、語ることが山ほどあり、身近な人とはあえて話すことのない「心の問題」について、誰かと一緒に考えてみることに非常に喜びを感じました。興味のあること、好きなことに向かった時、どこからか湧いてくる大きなエネルギーに自分自身がびっくりもしました。「発見会」の意味についても考えるようになりました。

秘密結社?!「生活の発見会」

 「発見会」と出会い、「森田療法」を知り、私の生活は180度変わりました。必要な人間関係に対して何とか持ち応え、転職を繰り返さなくてもよくなりましたし、友人を持ち、休日のスケジュールもいっぱいで本当に行動的になりました。しかし、私の持って生まれた性格上、やはり対人場面が大きなストレスに繋がることを認めなければなりません。人の視線や思惑にドギマギする気の小さな私を、自由奔放で豪快な私に変身させることなどできないし、負けず嫌いで自分勝手な私も自覚しなければなりません。「なすべきことから手を離すな」私はこの森田療法の生活指針によって、対人恐怖を持ちながら生き続ける術を手に入れることができたと思います。感謝しています。でも正直なところ、自分をさらけだすことで楽になった部分もありますが、惨めな気分に陥ることも多々あります。特に職場ではそうで、「私って駄目だなぁ。」とか「皆に迷惑をかけちゃうなぁ。」などと訴えると、「そんなことないよ」とか「皆同じだよ」などと言ってはもらえますが、忙しさに流されて、今ひとつわかってもらえていないような寂しさを感じます。また、のんびり屋な私には忙しい職場はやっぱり合わない、できれば、もっとマイペースで生きたいというわがままな気持ちも湧きます。こんなどこへも持って行き場のない気持ちを、言葉にしなくても、わかってくれるのが、発見会の仲間です。神経質者特有のやるせのない思いを共有した上で、「それでも、よく耐えているね。がんばっているね」相互に認め合い、支えあう第二の家族のような存在です。お陰で、職場での私の立ち位置を見直し、工夫をしたり、がんばったりする力が出てきます。残念ながら「発見会」について一般の人たちに説明をすることが難しいので、あまり公にできない「秘密結社」のような会ですが、これが私の底力となっています。きっと一生の友となることでしょう。

代表的な体験談を 集めてみました
どうして自助グループ活動
なのでしょうか
一度
、会を見てみたい方は
こちら
生活の発見会の
入会手続きはこちら
お近くの発見会はこちらから