苦しみからの解放“生きている(生かされている)”ありがたさ / M・Tさん



 今回、発表致しますが、会員で長期間苦しみが続く方がいらっしゃいます。
私の体験記が参考になり、1人でも多くの方が苦しみから解放され、卒業されてもよし、生涯学習で続け自分の為、苦しむ後輩に為、力を貸して頂けると、なお幸いです。私の発表は、平成8年「O学習会」での発表以来2回目です。その他、「初めて集談会に来られたみなさんへ・・・・」が1回あります。

 それでは、まず自己紹介から致します。
 氏名 M・T,住所 O県,生年は昭和22年1月,年齢65歳,無職(元郵便局員)
年金生活者です。家族は妻と2人。長男は別世帯です。

 妻は神経症とは無縁で、忘れ物、戸締り、過去の事など全く気にしません。
 趣味はオーディオ機器、レコード鑑賞 カメラ、鉄道ファンです。

 趣味について。小学校の先生が無線をしていたので電気関係に興味を持ち、それとローカル鉄道が近くにあり、好きになったので『子供の科学』、『初歩のラジオ』、『模型とラジオ』、『鉄道ビクトリアル』、その他誠文堂新光社の電気関係の本を多く読みました。

当時いろいろと苦しんだ時の症状としては、

普通神経症で、病気恐怖、自律神経失調症、大腸過敏症
確認恐怖…かぎ掛け、火の元(何回も確認)、
高所恐怖…屋根に上るのが怖い。
縁起恐怖…ばちが当る 厄払い、お寺、お宮に参る。不調の時は塩を持ってお宮の掃除をする。
しょく罪恐怖…万引き、人を傷つける、女性に抱きついたり体を触るのではないか。
詮索…小さい何でも無いことが気になり、尋ねたり、事典やパソコンで調べたりする。
ボケ(認知症)恐怖…ボケになったらどうしょう、怖くてたまらない。これがきっかけで1992年(平成4年)5月、発見会に入会しました。

 生い立ちについて。兄弟は2人で長男です。弟は自分より何でも優れています。父は病気知らずの元気で器用で何でも出来ていました。職業は公務員でした。母は気が小さく心配性で不器用で何でも父に頼っていました。
 小学校時代ですが、勉強は上の中位でした。体育は苦手。これは当たり前で、何でもきつい、怖いことは逃げていたのです。森田療法の勉強をしている今思えば取り返しのつかない残念な事をしたものだと思います。

 子供のころ、腎臓炎がひどくなり、近くの医者ではだめで、大きい病院に入院せにゃ死ぬと言われましたが、入院したくないと入院しませんでした。子供にとって病院とはどんなに恐ろしい所か、その上、死ぬと言われたので尚一層でした。この事があってから、自分の事しか考えずに体育など休みがちになります。

 中学2年の時、毎日午前10時ごろから午後3時ごろまで熱がでて気分が悪く宿直室で寝ていました。いつも帰る時間ごろには、不思議に良くなるのです。

 中学3年の時、父が急死しました。何かと苦労が増えました。小さい時から気が弱く、女の子と多く遊んでいました。いじめに遭った時など、女の子がかばってくれたりしていたのです。その後、いつの間にか強い者について回る、ずるい人間になったと思います。
そんなことで殴り合いの喧嘩などしたことはありません。高校の時も頭痛、腹痛などが多く欠席、欠課、見学が多かったです。

 卒業して、父の友人の世話により、A郵便局に非常勤職員で入りました。郵便車の郵便物積み替えをなどをしていました。半年程で本採用になり、郵便車の乗務員として、郵便の区分、受け渡しをしました。誤区分、誤降ろし等で怒られることが何回もあります。この間も腹痛、下痢で苦しみました。途中で病院に行ったこともあります。約10年間勤めました。

 世の中鬼ばかりでない。仕事を丁寧に教えて助けてくれる人、趣味の電気、鉄道、オーディオ、カメラに詳しい先輩に出会ったのはラッキーでした。
 

先輩から教えられたこと

職場は30年以上勤めるのだから、「毎日苦しくて泣きながら出勤するのと、今日はどんなアホな話しをしょうかと笑いながら行くのは一生では大きな違い」
職場、世の中は目立たないようにする、上になる必要はない。平均のところで良い。
郵便局では、全逓労組であればいじめられないで、転勤時は行先の支部にも紹介状が行く。その代わり年末繁忙期、春闘、公労協、全逓のスト、ビラ貼り、選挙、選挙カー動員、メーデー参加などある。その時は、なるべくテレビに映り頑張っているように見えるようにする。
その方が妬まれず、恨まれず、若い人、非常勤の女性職員も仲良くしてくれる
無断欠勤、公金、切手を盗まなければ、首切りになることはない。
貯金、保険の募集、郵便切手の販売も平均の成績ならば何も問題はない。
能力がなくて上に成る(役職につく)と苦労し、そのために早死にすると元も子もない。
最終的には、細々とで良い、長生きして、年金をたくさん貰うのが、自分、家族のために良い。

転勤

 昭和50年、B局に転勤し、貯金、保険の窓口業務をすることになりました。仕事の内容が、郵便から、がらりと変わり、びくびくしましたが、職場訓練などで、1年もすると、仕事、人間に慣れて住みやすくなりました。しかし、その後、目、耳、肝臓、頭痛、腹痛など色々の病気に苦しみ、切手代金の不足、集金金額、つり銭の計算違いなどで任意弁償が発生したり、書類の押印もれがありましたが、周囲の多くの人に助けられ、勤務を続けられたことは幸せでした。

 この時の上司、お世辞は言わないが、聞き役に回り相談すれば答が返ってくる。今思えば、おべんちゃら(嘘のお世辞)を言う人より、結果的に物足りない感じの人の方がずっと(一段と)信頼できる事が分かりました。
 皆さんにお世話になるので、何か出来ないかと思い、職場の共済組織のお世話を20年以上しました。各種共済の内、自動車共済は事故発生時の対応、火災は台風、地震、津波、年金医療は老後の安心と、自分の知識ができ役に立ちました。ここには23年勤務しました。
 

転勤

 その後何年かごとに転勤の話しがありました。断り続けましたが、20年以上で、民営化の話しもあり、もう限度だろうと思い。全逓労組に相談、自分の体力、能力、年齢、家庭の事など、総合的に判断し、近くのC局に転勤という結論を出し、その通りになりました。打算すぎかもしれませんが、後で取り返しのつかないことになるよりましとの結論です。この判断は今でも正しいと思っています。この時の上司は物知りで、自慢話が多いがそれを我慢すれば、電気、パソコン、農作業、魚釣り、など教わる事も多かった。

 5年後(平成15年)D局に転勤しました。知り合いの無い地区です。1日お客数20~30人の閑散としています。上司は見掛と現実は大違いで、行動が他人の気持ちなど考える人でなく、その時、その時の思いつきで、嫌なことを遠慮せずに。平気で言う人でした。(お客の気分を害する事もありました。)
 楽しくない、もう要らない話しはしない。心をこめず、無表情で事務的に処理していきました。かかわりたくないのと、業務知識が不足していましたので、雑談などしないで、業務用取扱手続など法令の本をいつも読んでいました。トイレ掃除、倉庫のかたづけをした方が気楽でした。

苦しみを友人に

 途中、運よく優しい友達に恵まれました。特に命の恩人と思う1名だけを簡単にご紹介し改めて感謝とお礼を申し上げます。

各種神経症、仕事内容、職場の人間関係、うつ状態で苦しい時、M子さんに毎日電話し、1~2時間苦しみを訴えました。嫌がらずよく小言を言わず聞いてくれたものです。(今でいう心理カウンセリングでしょうか。)
 又、それでも落ち着かず、急に訪問して聞いてもらった事が何回もあります。
最近テレビで聞いたのですが、現代版うつ病は(かくさず大げさに)ただ苦しみを訴えるのだそうです。それだったかも知れません。20数回、泊めてもらい、長時間夜中の1~2時まで酒を飲みながら、苦しみを話し、早く起こして頂き出勤しました。時々、一緒に買物に行ったり、海水浴、みかん狩、ドライブなど楽しかった事を思い出します。20年前、友人の結婚式に出席しました。駅、列車、T会館などで夫婦と思われたのは嬉しくてたまらなかった出来事です。(一生でこんな良い日があるんだろうか。)

 この人、小山明子さん風の美人で、私みたいな神経質で頼りがいの無い、つまらない者によく40年以上も友人として、お付き合いして頂いていることに感謝しています。相手方のご主人の理解も多大です。

「あなただけには嫌われたくない、絶対失いたくない、大好き」と言っていますし、そう思っています。

生活の発見会の独身の方へ-、世の中強い人だけが持てるのでなく、弱みの有る人の方がかえって好かれる時があると思います。神経質は、良く気が付く、義理固い、裏切らない、などと良く思ってくれるのです。ご安心を。

感謝状

 どうしても命の恩人として、お礼を言いたいので妻に相談し、15年程前に感謝状あげることにしました。

 感謝状 M子様

 貴女は持ち前の器量と美しい声で、どんなに苦しい時も味方になり、励ましてくれました。私の心の太陽であり、女神です。・・・(中略)・・・・感謝します。
これからもご指導、ご鞭撻をお願いします。
  年月日、   氏名

と読み上げ、記念品をあげました、後日、彼女の子供さんから「お母さんは素晴らしいね。宝物だね」と言われたそうです。最近は電話、訪問しても忙しいので、迷惑をかけない様に年に数回となっています。

 話しを追加いたします。

 1か月程前、M子さんスポーツ中にけが(骨折)をして救急車で運ばれ外科病院に入院しました。
 けがは不幸と思えば不幸な出来事だけど、今回はまだ幸せの方ではないですか。頭を強打して頭蓋内出血で意識障害や、植物状態でなくて、しかも右手でなく、左手で、右手だったり、足だったら、不自由で生活の質が全く違うし、けがの内では一番良かったのではないでしょうか。今まで恵まれ過ぎた、自分の普通の姿に感謝が足りないのではないですか。感謝してください。外科病棟の命に別状の無い人は、みんな明るく笑っている。けが入院は悪いことばかりでなく、今は会いたい時に来られて、私は嬉しいです。感謝しております。結局20日間の間に7~8回、1回1~2時間話しができました。

 Mさんが言っていた、(妻の入院、介護は)新婚の様、に類似。
 誕生日メッセージの手紙、1回、ケーキ代わりのクッキー1回、普通に生活できることに感謝する、に気がつく、良い入院でしたね。 私は楽しかった。

話し変わりまして。
 

人生の転機

 三重野悌次郎さんとの出会いがあり、生活の発見会に入会しました。
 平成4年2月O新聞に三重野さんの記事「病気でない病気に苦しむ・・・」が出ました。色々考えた末、1か月位して思い切って電話し、大分長い時間症状を話しました。
 三重野さんは、「普通神経症ですね。O市で集まりがありますので2~3回来ませんか参考図書も販売しています。」と言われました。

 4月はドアの所で帰りました。(怖かったのです)
 5月は思い切って入りました。受付の Y子さんから「ここまで来たら大丈夫、半分良くなったのと同じと言われ。」大変うれしかったのです。
 その時、 Mさん、Uさんも同期生です。苦しいのは1人ではなかった。みんな、私の苦しかった話しを、聞いてくれました。

 その日の帰りにMさんの車に、三重野さん、Yさん、と4人で帰り車内で色々な話しをお聞きしました。大変安心しました。この時お話をして頂いた三重野さん、後で分かったのですが、森田理論学習の有名で偉大な指導者でした。

本当の病気 脳梗塞に

 平成15年11月脳梗塞で左半分が麻痺しました。
 夕方から何か歩きが、左手がおかしい、車の運転で、ガードレールにぶつかりそうになった。最初は気のせいだと思っていたのですが、本当の病気でした。休日だったので、病院を何か所か頼みやっと受けてくれました。
 

 (脳梗塞の知識があったので)病院で先生に詳しく説明、すぐ点滴開始、先生に「左マヒなので、はしを持てる、ペンで字も書ける。命があっただけでもありがたい。今まで感謝がたりなかったのです。先生このままでも良いです。」と言ったのです。
 しかし、そのまま入院し24時間点滴、リハビリ治療が上手くいき、1か月半の入院で奇跡的に、大した麻痺も残らず回復し退院できました。しかし、薬の副作用で頭痛、全身倦怠感、頭が働かない。昔できたことができない。(三重野さんも言っていた。)などとなっています。

 入院中の三重野さんにお会いし「三重野さんから長年指導して頂いた森田理論学習のおかげで、脳卒中でも冷静に対処できました。三重野さんの指導がなかったら、悲観して、人生を投げていたことでしょう。誠にありがとうございました。」とお礼を言いました。
三重野さんは「私の言った事が役立ってそれは大変光栄です」と言われました。

退職

 2か月程の病気休暇で回復したと思い出勤しましたが、体がきつく、やる気なくし。このままでは何が起こるか分からない。計算違いで横領など言われるかも分からないと心配し、トラブルに巻き込まれると馬鹿らしいと考えました。
平成16年 6月退職しました。1か月位して退職金が通帳に入金され、保険料の全納など全部片付け、安心しました。色々な束縛から解放されて自由になりました。

再度病気に

 意志が弱いのです。ストレス解消するのに相変わらず、毎日酒を飲んでいました。(依存症)途中何回か軽い脳梗塞症状がありましたが、気のせいだと思い、気をつけなかったので、本当に生命の危機が近づきました。
 それは、大した症状がなく、1週間位軽い頭痛があっただけで、血圧は142-92.
平成19年6月CT検査で脳出血が分かり即入院となり絶対安静です。
今回も適切な治療、看護により1か月で退院しました。

 しかし、その後、ひどいうつ状態になり、毎日死にたいと思いました。朝、昼、晩と日に3回睡眠薬を飲み42日間ただ寝ているだけでした。症状は、家の外に出られない、人に会えない、テレビの音がやかましい。何もしたくない。散らかしたままなど。
 趣味で好きだった、レコード音楽など、全然聴きたくない。オーディオ、無線機器など調整、修理などしたくないし、全く出来なくなりました。
 一度は発見会協力医の山田クリニック(大分市、山田健児先生)に診てもらいました。
急な不安、パニックの時に飲むと良く効く頓服薬を出していただきました。幸いこの5年間で3回飲んだだけです。

 苦しみのうち、24時間の頭痛が約3年間続きました。1日のうち午後2~3時ごろ少し軽くなるのです。雑用は何とか続けました。効果として、パソコンが上達しました。

だんだん活発に動く

 21年に母(20年前にくも膜下出血、胃がん、脳梗塞、などの病気を患いました。85歳)の介護度が上がり、妻の負担がどっと増しました。妻に倒れられたら、尚一層困る、共倒れになるので、簡単な家事、朝5時に起き、炊事、洗濯、風呂そうじ、たきもので風呂沸かしなどしました。

 23年9月。
母の死、通夜、葬式思ったより多くの人が参列してくれました。だれでもやっているので、自分に出来ない訳はないと思ってかかりました。挨拶なども出来、何とか無事に終了。 遠方者にはお礼手紙。49日法事、案内状、返信はがき、自分ながらによく出来たと思う。
 49日香典返しは Tデパートに依頼し、資料はパソコンで整理したので、外商部にデータを渡し30分位で終了。最終結果はミスなし。誉められました。

妻にも感謝

 私の様な男は看病、介護など何も出来ない。(実の親でない)嫁ぎ先の母を献身的に介護、看病、付き添いなどを、10年以上の長きに亘りして頂き、誠にありがとうございました。大変なご苦労をおかけしました。(十分ではなく)少しですが、金銭をもってお礼とさせて頂きます。と50万円上げたら、封筒の中を見て、これでは多すぎる、30万円で良い。と20万円は返金されました。これもお互いに譲り合って良かったと思います。

今思うこと、感謝の日々

 ドクターストップで、今は酒を飲まれないので24時ごろ寝て、目が覚めるのが4時すぎ5時に起き炊飯、湯沸し、洗濯、雨戸開けと続けている。朝、今日も目が覚めた、生きていた、ありがたい。前の神社、お天道様に2礼2拍手1礼でお参りします。夕方も1日が無事に終えたお礼のお参りします。

 冬は、水道が凍ったり、強い北風が吹いたり、風雪がひどい時など、生きているから、きついのだ、しかし、きつい事が出来る事はありがたい事と考えます。もし脳梗塞、脳出血がなかったら、飲酒運転か、セクハラなどで、どうせろくでもないことで、懲戒免職にでも、なっていたかもしれません。だから病気になったことに感謝します。

 発見会で三重野さんから森田理論等の指導をしていただいたから、いつでも物事を冷静に判断し、素直に受け入れ、人生を投げずにすみました。最近は、荒地の竹きり1日4~6時間で50日間、木の伐採、神社の木(重さ30kg位のもある。)の片付けと風呂焚きの薪つくり、重い石の動かしなど、きつい仕事を工夫しながら出来る事はありがたいし、つまらぬ事を考えなくてよいのです。長い間苦しんだ神経症はぐんと軽くなります。苦労したくても、病気などで出来ない人も多いのだから。大感謝しなくてはいけません。

 森田理論の本はたくさん購入しましたが、残念ながら、まだ半分は読んでいません。
 理論より、普通の生活をするのが優先です。普通の人が当たり前にしている事をする。
少々体の調子が悪くても、頭痛、腹痛、腰痛、めまい、耳鳴り、など不快なものは不快ですが、いやいやながらでも行動すると良い結果がでます。苦しさを忘れる、感じなくなると思います。ただし、本当の病気で、目の前が暗くなる、苦しい、倒れる、など極端に酷い時はしてはいけませんが。

 自分の考えたこと。

  1. 物事は他人のせいにしない。自分の不徳の致すところの方が気が楽です。
  2. 自分の都合のいい様に考える。これで良かった。間違いないと思い。自分を責めない。(物事には答が1つでなく、答は幾らでもある。)
  3. 嫌な事、気の合わない他人は嫌なもの、思い出さないでほっておく。
  4. 行動の時期は、今しかない。今しておかないと後悔する。過去未来は無くても良い。
  5. 断捨離とは、物を捨てるのではなく、嫌な人間、つまらない人間を捨てて、付き合わず、気持ちを楽にすることと思います。
  6. 神経質、神経症であった為に、各地に自分を分かって(理解して)くれる人が沢山出来たことは大きな財産です。

 私は発見会で学習したお陰で、物の見方考え方が全面的に変わり、大きく進歩し、大変ありがたいです。

 最後にくどいですが、もう少しです。
 神経質の苦しみから解放されるのは、神経質は折角(せっかく)持って生まれた優秀な性格ですが、まだまだ気を遣っていません。小さなことを「これでもか、これでもか」と徹底的に限りなく、死ぬほどまでに、気を遣い果たすこと、それが、他人の為になり、自分の為です。

 今の自分の姿を冷静に見て下さい。まだまだ気を遣えます。
 もっともっと気を遣うのを楽しみましょう。そうすると苦しみから解放され、喜びに変わります。神経質で苦しんだのが懐かしいですよ。だけど、残念ですが元に戻れません。
 三重野さんの言葉を思い出します。「あるがまま」、「事実唯真」、「苦しみを味わう」 「いつまでもお客様気分では駄目だ。」など。

私には
 1.苦しみを聞いてくれる、優しい女性に出会ったこと。
 2.三重野さんという偉大な指導者に出会ったこと。
 3.大きい病気をして、今までの人生を振り返り感謝したこと。

 いくつもの偶然が重なり今の人生があるのは奇跡です。(ラッキーです)
みなさんも人との出会いを大切にして下さい。

 まとまりのない長い話になりましたが、三重野悌次郎さんをはじめ、たくさんの先輩諸氏、苦しい時いつも味方してくれた優しい友人、また長い間、大らかに接してくれた妻にも感謝して、発表を終わります。ご清聴ありがとうございました。

              (平成24年 O集談会・一日学習会体験発表より)

10_01 家から瀬戸内海が見えます。
10_02
10_03 植物はその場その環境で力一杯生きる.
コンクリートの隙間,少しの土しかありません.(M・T)
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