森田療法の自助グループとしての発見会の役割について(2) / 比嘉千賀 (ひがメンタルクリニック院長)

セルフヘルプ・グループの三つの働き

(1)わかちあい
 同じ悩みを持った人たちが、まず「集う」ということがセルフヘルプ・グループの始まりですが、そこでの最も大切な機能が、この「わかちあい」ということです。 みなさんが、一番初めに発見会・集談会に参加されたときのことを思い起こしてみてください。まずほとんどのかたが、自分一人で悶々と悩み、自分の悩みは特別だ、こんなことで悩んでいるのは自分一人だけだと思い込んでいたでしょう。森田先生はこれを「差別観」と呼ばれました。そんな人が不安感いっぱいで、恐る恐る発見会(集談会)というところに出てみたら、同じ悩みを持った大勢の人に出会い、「あなたの悩みはよくわかります。私もあなたと同じように苦しみました。もっとひどかったぐらいですよ」と共感してくれる人がいて、「自分だけではないんだ」「自分が特殊ではないんだ」と思ってほっとなさったと思います。こう感じることを、森田先生は「平等観」と言われました。
 集談会の人たちが、「よく来ましたね」と温かく迎えてくれて、そして会の終わりには、「じゃ、また、来月会いましょう」と言ってくれる、その温かさ。それまでは孤独感や疎外感という硬い殻に閉じこもっていたのが開放されて、ここでは自分が受け入れられているという安心感を感じるのです。誰にもわかってもらえなかったつらさが、そのままわかってもらえるうれしさ、悩みや問題があるまま、ありのままの自分の存在が肯定されて、それまで人には話せなかったようなことも自然に話せて(自己開示)、仲間との親密性が深まります。
 こうなってはじめて、気持ちが落ち着き、まわりが見えてきて、会員さんたちの話しが耳に入ってくるのです。そして、自分自身のありのままの状態も認めることができて、人間的な成長をめざそうという気持が芽生えるのです。先輩会員が「私もあなたと同じ悩みで本当につらかったけれども、今はこんなに元気になりましたよ」と話してくれたりして、自分も良くなるかもしれないという、回復への希望も出てきます。 悩んでいる人たちが、セルフヘルプ・グループに来て、真っ先に何を心に感じるかというと、この「わかちあい」なんですね。まずは、「ああ、自分だけじゃなかった」、「ここに来たら、何かほっとするな」とか、「ここの人たちは自分のことをわかってくれる」などと、そういう気持ちのわかちあいがまずあるのです。それが十分に感じられてから次に、いろいろと回復に必要な情報をわかちあうことになります。 「森田理論を学ぶと悩みが楽になるようだ」、「集談会に通い続けると元気になるらしい」とかですね。ここまできてようやく、悩んで閉じこもってきた人に、「森田理論」というものが受け入れられはじめ、それを学ぼうとか、その教えを実践してみようかという方向に心が動きはじめるのです。この段階がしっかりと根づくことが大切で、その後の心の回復がすすむかどうかを左右します。 このことは、新人を迎える立場の中堅会員さんたちが十分に心しておくべきことでもあります。森田理論や森田的なやり方をはやくわからせようとあせらず、まずは、悩みでがんじがらめになっている人を、あたたかく懐に受けとめてあげることを十分にしてあげてください。

(2)ひとりだち
 わかちあってほっとできる魅力にひかれて集談会に参加し、しだいに雰囲気に馴染んでくると、ようやくその場で語られる森田的な言葉が耳に入ってきたり、森田理論の意味するところが少しずつ理解できるようになってくるのです。それも、先輩会員さんたちが自分の体験にもとづいて語ってくれるのでとてもわかりやすく、ピンときて、自分の悩みやつらさへの洞察もできていきます。
そして、どうしたら回復していけるかという情報も、先輩会員さんたちの体験を通して具体的に示されます。それを体験的知識と呼びますが、医師や専門家が教えてくれる知識ではなく、回復した仲間の先輩が伝えてくれる、セルフヘルプ・グループ秘伝(?)の回復への確実な知識なのです。そして、仲間の体験を通して自分を見出したりして、自分の現実が見えてきます。そうすると、自分自身も変われるんじゃないか、変わりたい、変えてみようと考えるようになっていくのです。 かつては自分と同じ状況で悩んでいた先輩たちが、その方法で現実に生き生きとたくましく生きている姿は、森田療法の有効性を何よりも強く実証していて、後輩会員さんたちに未来への希望をもたらします。
 継続的に活動し、自分は発見会の△△集談会の一員だと自覚されてくる中で、現実の生活面でも変化が出てきます。それまでは、自分に自信がないので、できるだけ控えめに、自己主張はせず、人には逆らわず、人から批判されないように、「ノー」は言わず、人の期待に沿うように、消極的・受身的に生きてきたものが、一人の生活者としての主体性を取り戻してくるのです。自分がхххと考え、自分が***したいと思い、自分の判断で+++を実行するようになります。すなわち、自己選択し、自己決定し、自己管理し、それを自己責任で実行していくのです。 たとえば、みなさんは、「発見会活動や、集談会に参加し続けるか、続けないか」と迷ったことはありませんか。時々聞くのですが、家族に「“発見会”ってそれは何だ、新興宗教か?おまえはだまされているんじゃないか?そんな所にはもう行くな」と大反対されたという話。オウム真理教が騒がれたときは、「おまえも、洗脳されているんじゃないか」と言われたりした人もいるでしょう。森田療法にも、確かにわかりにくい言葉がありますからね、「あるがまま」とか「事実唯真」とか「思想の矛盾」とかちょっと宗教臭いような言葉もありますよね。 よく知らない家族が、訝しく思っても不思議はないのですが。しかし、家族や周囲の理解がなくても、自分にとってそれがいかに大切なものであり、この教えに学び、活動に参加することで自分が変われそうだ、泥沼から抜け出せそうだと自分がしっかりと感じている時には、「自分は集談会に出よう」と考えて自分の意志で参加するわけです。すなわち、自分で考え選び、そして自分で決め、実行し、自分の生活を自己管理していることになるわけです。会のことだけではなく、日常のあらゆることに、「自分はどうしたいのだろうか」と自らに問いかけ、「自分はこうしたい」と主体的に考えるようになっていきます。
 横山理事長さんが現在、「自助グループについて」というお話しを、全国行脚して各地域の幹事研修会で話されていると伺いました。そのレジュメをいただいたのですが、非常にわかりやすくまとまっています。その初めの「セルフヘルプとは」というところで、セルフヘルプの意味を「自分のことは自分でする」「自分のことで責任をとれるのは自分だけ」という言葉があります。 この意味は、間違うと、人に頼らず自分だけでやりなさいとも受け取れますが、そうではなくて、みんなとわかちあいながら、助けたり助けられたりしてやるのだけれども、ベッタリ依存したりさせたりではなく、各人それぞれが自分の判断を持ち、自分がすることやその結果には自分が責任を持つということなんですね。「先輩会員さんが言う通りにしたのに、全然良くならない」と言って先輩を恨むのは、ちょっと筋違いなんですね。 自助グループでは、先輩の薦めを受け入れて、実行するかどうかは、各人が自己責任においてするものなのです。発見会の先輩が推奨する森田理論ももちろんです。その考えを受け入れるか受け入れないかは、各人が決めるということですし、それで回復するかしないかも、それを薦めた先輩の責任ではなく、自分の責任だということです。
 また他方で、回復を援助している先輩会員の側からいっても、後輩をどうにか回復させようと、あまりのめり込みすぎないことです。熱心に親身に指導することと、盲目的にのめり込むこととをはっきりと区別する必要があります。自分の思い込みでのめり込むと、「私の言う通りにしないから良くならないのだ」「がんばらないあなたはダメだ」などと相手をきめつけてしまい、逆に後輩は離れてしまうでしょう。 「私たちはできるだけのことをしてあなたを援助しますよ。(しかし、それを受け入れるかどうかは、あなたの裁量ですよ)」、「私自身はこの森田理論を実践して回復しました。あなたが共感されているなら、きっと回復すると思う。(しかし、必ず回復するとは保証できない)」というようなスタンスで援助したら良いと考えます。 いくら一生懸命に相手を回復させようと努めても、相手が回復するとは限らないのです。その人の中に、回復したいという力がどれくらい強くあるか、なども大きく影響しますから、ある意味では相手に任せることも必要かと思うのです。相互援助なのですが、メンバー各人が「ひとりだち」していることが求められることの意味をわかっておく必要があります。
 セルフヘルプ・グループという場の活動は、依存的であった人が参加し続けることで、次第にひとりだちしていくことを支援するプログラムを提供します。たとえば、悩んでいる最中は他の人から援助される一方で、周囲の人への配慮などはまったくできなかった人が、集談会に出続けているうちに、受付やお茶出しなどを頼まれます。そして次第に、記録係やその他の役割を引き受け、後には代表幹事などになって集談会活動を支え、会の運営や後輩会員の回復を援助する人になっていきます。すなわち、被援助者(援助される人)であった人が、援助者(援助をする人)になっていくわけです。そのように会の活動が提供する社会的役割を担い、他の人のためにと考え行動することが、幼児性が強い神経症者をいかに大きく成長させるかは、みなさん自身が身を持って経験してこられたことだと思います。
 会の中でひとりだちしてくると、次第に自信が持ててきて、次には一般社会での適応技術も獲得できて、積極的に社会にも関るようになっていくのです。

(3)ときはなち 
 セルフヘルプ・グループが心を癒し回復する三段階目の機能が「ときはなち」です。自分が神経症者だということをコンプレックスと思ってこられた会員のかたも多いと思います。妻や夫にはまだ話していないというかたもいるでしょうし、会社はもちろん、友人にも言わないというかたは多いと思います。社会的な偏見もありますので、当然ではありますが。しかしそれが、回復が進むと、その社会的な差別観から解放されていくのです。自分への信頼感が増すことを自己尊厳の回復と言いますが、あるがままの自分が受け入れられ、あるがままの自分こそが尊く価値があるのだと思えるようになります。これは、自我が強化されることを意味します。
 ここにいらっしゃるみなさんは、発見会の活動を積極的に担っていらっしゃるわけですが、自分も神経症に悩んだ体験者・回復者としてなさっているわけですよね。「神経症になってよかった」、「発見会につながってよかった」という言葉をよく聞くのですが、みなさんの多くはきっとそう思っておられるのではないかと思います。悩み苦しんだ体験があったからこそ深くものごとを考え、そしてすばらしい森田療法を知り、発見会の多くの仲間に出会い、さまざまな活動に関わることになり、かえって多くのものを得ることができて良かったと思っていらっしゃいませんか。そう感じることこそが、自らの内に押し込めていた差別観から心が解放されることなのです。ここまで回復したみなさんは、発見会活動を通して、またはそれを越えて、心の問題に対する社会的偏見や差別観を撤廃するために、社会に対してさまざまな働きかけをしていらっしゃることになります。それが「ときはなち」ということになるのです。
 集談会を定期的に開くことのみならず、各地域で一般の人の参加を募ってのセミナーや講演会を開催し、多くの場合に体験発表がされていますよね。森田療法学会でも、毎年発見会の方の体験発表があり、私はいつもそれが一番楽しみで勉強になると思っているのですが。このような、自らの体験を社会に向けて発信する行動はすごく勇気がいることですが、とても大きな意味があることです。毎月の発見誌の発行や書籍の出版も、一層多くの人たちに情報を伝える活動になっています。
 さらに、地域の関係機関などとも連携しての活動も増えていくに従い、それぞれの地元での信頼を得て行くと、さまざまな場面や状況で頼りにされるようになるでしょう。
 そしてセルフヘルプ・グループによる心の回復の最終プロセスは、未だ悩める人々に森田療法を伝達したいという使命感を持ち、その人たちが自分のように回復して生きる喜びを感じられるように支援したいと願い、そのために、発見会の活動を自らの使命として担い続けたいと願うことです。
 今から思うと、私の父・水谷啓二も、この使命感に突き動かされていたように思います。森田療法をひろめることと、悩める方たちを指導することへの、あの湧き出るような情熱とエネルギ-は、自らが体験し回復したよろこびを源にした、使命感という泉からほとばしっていたように思います。

こうして、セルフヘルプ・グループの三つの働きに沿って、発見会の会員一人ひとりの心の回復過程をたどってみますと、また新たに発見会の持つ機能の深い意味や、何を大切にしたら良いかが見えてくるのではないかと思います。次回は、グループとしての発見会の、セルフヘルプ・グループとしての機能を検証し、心の混迷を深めている現代での会の意義を考えたいと思います。

発見会におけるセルフヘルプ・グループ機能の検証

前号では、「わかちあい」「ひとりだち」「ときはなち」というキーワードを用いて、セルフヘルプ・グループで心が癒されていくプロセスで働く機能のお話しをしました。 つぎには、セルフヘルプ・グループの機能を、その成立の基本的な要件や働きという視点から見てみたいと思います。ほんとうは、この話の方が先だったのですが。そして発見会が、その要件や働きを備えているかどうかを検証してみたいと思います。

07
スライド(7)

(1)共通の問題と共通の目的(スライド(7)) 
 まず、セルフヘルプ・グループの第一の成立要件は、共通の問題とか悩みや何かの困難さを持った人たち、その人たちを「当事者」と呼ぶのですが、その「当事者」が自発的に集って―なかには最初は家族に連れられて来ているうちに、しだいに自分から行くようになる人もいますが―、古い人も新人もみな対等な立場で協力しあい、親密な人間的交流があって、そして相互に援助し合う機能があることです。それを聞いて、みなさんも、発見会はまさにその要件を持っていることをお認めになるでしょう。しかし、少々の苦言を呈すれば、会員がみな対等であるという意識が持てているかどうかと言う点でしょうか。
 つぎには、共通の目的を持って活動していることです。たとえばA.A.で言えば、アルコール依存から回復したいという目的の人は誰でもが参加できるということになるわけなのですね。発見会の場合は、森田理論を学び体験を交流して、神経症からの回復をめざすという共通の目的を持って活動しているということになります。

(2)自我を強化する準拠集団(スライド(7))
 その会は、集ったメンバーが、その人の価値観や生き方への何らかの示唆を得られる準拠集団であるということも重要な要件です。「準拠集団」という言葉はちょっと耳に なじみがうすいかと思いますが、そこに拠って立つということで、「よりどころ」にしていると置きかえてもいいかと思います。発見会会員のみなさまは、森田理論・療法によって、自らの価値観や生き方に重要な影響を受けられ、また、発見会活動に心のよりどころを見出してこられたと思います。
その会は準拠集団であるとともに、他の人と同一化ができる場にもなります。たとえば、この人は自分と同じだとか、この人のようになりたいなというふうに、回復のモデルがあって、その人のようになりたいなと憧れると同時に、この人が回復したのなら自分も良くなるかもしれないという希望が生まれるんですね。そして、その人の活動の拠点となり、それを続けるうちに、自分は自分のままでいいと思えるようになる、すなわち、自我が強化されていくということですね。自我強化の源泉ともなる活動なのです。
 この「自我強化」をもたらすということは、すごいことなんですね。私たちが精神療法をやっていても、患者さんの自我が弱いと、そのかたの自我を強くするのは至難のわざです。それが、発見会に参加することで、仲間から支えられて森田理論を学び、お互いの交流や援助し合うということの中で、「あるがままの自分こそ尊く価値がある」と思えるようになっていきます、すなわち自我が強化されていくのです。「こんな自分はだめだ」とか「ビクビクして気が小さい自分は、誰よりも劣っている」とさんざん悩み苦しんできたみなさんが、その「神経質的な性格の自分こそいいんだ」というふうに価値観が逆転なさったわけですよね。これこそが森田療法のマジックと言ってもいい、実にすばらしいところだと思うんです。森田先生は、「その性格こそすばらしい」とおっしゃいました。「そのままでいい」というよりも「そのままがいい」、「そのまま変えない方がいい、変わらない方が価値がある」ということですからすごいですよね。
 これは余談ですが、私の父も、「神経質者はすばらしい。神経質者はすばらしい素質を持っている」といつも念仏のように言い続けていました。その当時私は中・高・大学生で、自我構築の真っ最中にあったものですから、父に「千賀は、神経質じゃない。外向的だ」と言われて(笑)、それを「外向的な性格はだめな人間」という意味だと受け取ってしまって、神経質の人たちに劣等感を持ってしまい、自己肯定感が持てずに、その後ずいぶん苦労してしまいました。
話を戻しますが、前号でも述べましたが、自分の中でだめだと思って抑圧していた差別から解放されてあるがままが受け入れられ、その「気の小さい自分こそいい」、「自分こそ尊い」と心から思えるようになることを自己尊厳(セルフ・エスティーム)の回復と言います、すなわち自我が強化されることです。心理療法では、それが達成されたら、最も深いレベルの心の回復が達成されたことになるのです。
 私はいつも森田療法学会のときに、発見会会員の方の回復体験を聞くのをとても楽しみにしています。すごく悩んで、本当にひどい生活をしていらしたかたが、とても生き生きとしてきて、生活に支障がなくなっただけではなく、非常にポジティブな活動をするようになられますよね。その変化がすごいなと、いつも惹きつけられるのです。
 自我を強化できるということは、セルフヘルプ・グループのとても大きな力だと思います。私がずっと長年見守ってきたアルコール依存症の回復者が、「アルコール依存症になって、ほんとに良かった」と言います。同じように発見会でも、「神経症になって良かった」という言葉をよく聞きますし、みなさんの中の多くのかたがそう感じていらっしゃると思います。いろいろそれぞれの言葉の表現はありますが、神経症に悩んで発見会につながったことで、いかに多くを学び、自分の人生が豊かになったかを、多数の会員のかたたちからたくさんうかがってきました。それは、私の財産にもなっています。

(3)助力者原理 
 このことは、本稿の1回目(12月号)でも述べましたので簡単にしますが、セルフヘルプ・グループの大切な機能です。互いに仲間(相手)を援助し合うだけでなく、自律者(セルフヘルパー)、すなわちみなさんのようなかたたちのことですが、は自分自身のためにも助け合う活動をしているのです。逆の表現をすれば、他の人のために熱心に活動している人ほど、その人自身が多くのものを得てエンパワーメント(心に力を得て勇気づけられる)されることになるという意味です。
 発見会でもよく、「人のためになることを、まずしなさい」ということを先輩が後輩に言ったりすると思います。自分のことばかりにとらわれていないで、不安ながら机を並べたりお茶を出すのを手伝ったりしましょうなどとかですね。そうしていると、しだいに他の会員さんたちともなじめてきたり、感謝されてうれしくなったりします。次第に、いろいろな役割を頼まれたり、責任のある役目を果たしたりするようになっていくわけですが、人から援助されてばかりいた人が、今度は人を援助する立場になっていくのです。人を援助した人が最もエンパワーメントされ、そして、人間としても成長するのです。形外会で森田先生がおっしゃった言葉そのままなわけですし、また、発見会自体がそれを長年実証してきたのです。

(4)メンバーが担う、非営利の活動
 最後に、セルフヘルプ・グループ活動の特徴としては、メンバー中心の活動であり、専門家の関与はないか、あってもわずかであることです。このことは、私たち専門家の側も、無用な介入をしないように気をつけなくてはいけませんが、また、みなさんも、発見会のメンバーとして胸を張って活動を展開し、専門家にも臆せずアプローチもしていただきたいと思っています。
 これまで述べてきましたように、セルフヘルプ・グループ活動は、回復者(当事者)、すなわちみなさん自身が担っているというところに意義があるので、私たち専門家は、サイドからは援助できますが、会の方向とかを云々する立場ではないのです。ある種の自助グループの中には、医者だとか指導者がかなり関わっているグループがあります。また治療者に依存している傾向があるグループもありますけれども、発見会の場合は、正真正銘メンバーのみなさんが担っていらっしゃる活動になっていると思います。
 もうひとつ、セルフヘルプ・グループの条件として、経済的な利潤を追求する団体ではないということがあります。これがまさに、発見会が特定非営利法人(NPO)となったことの所以(ゆえん)でもあるわけです。



セルフヘルプ・グループ「生活の発見会」のメンタルヘルス活動的意義(1)

これまで、ずいぶん長々と話してきましたが、森田療法学会でもっとも私が伝えたかった本論はここからなのです。すなわち、(9),(10),(11),(12)の四枚のスライドで十一項目にまとめて示しましたように、セルフヘルプ・グループとして活動している生活の発見会だからこそ行えてきた、特徴的なメンタルヘルス活動の内容とその意義なのです。その意味をご理解いただくために、これまでの話が必要でもあったのです。

09
スライド(9)

(1)当事者が担う活動、地区集談会(スライド(9)) 
 まず、専門家ではない神経症の体験者(当事者)が活動の担い手であるということが、メンタルヘルス活動として大きな意味があると思うのです。
一般的にメンタルヘルス活動といえば、精神科や心理の専門家の人たちがやるものという通念がありますが、一般市民であるみなさんがそれをやっていらっしゃるというところに重要な意義があるのです。専門家というのは、専門的知識や技術があって頼もしいでしょうが、詳しいだけに話す内容や言葉がちょっと難しかったり、自分の専門分野に引き寄せて考えてしまうところもあって、けっこう偏りがあったりもします。とっつきにくかったり、多忙で必要な時に支援してもらいにくかったり、親身な指導はほとんど期待できないというのが実情ですよね。
それが、当事者のみなさんであれば、活動の内容も日常生活に根ざしていて親近感があり、また市民のニーズもしっかり掴んでいて、痒いところに手が届くような対応ができます。また伝え方も誰でもがわかりやすい言葉で、実践的ですぐに役に立つような情報として伝えられることでしょう。
 発見会の各地域の集談会活動をイメージしていただくと一番わかりやすいでしょう。そこでは、いろいろな悩みや体験が日常生活の延長線上として語られます。とても現実的でわかりやすく、実際にどう対応したらいいかということにも、実践的な情報とか支援のやり方がそこで示されて、すぐ役に立ちます。また、神経症からの回復だけではなくて、たとえば、親を介護していて大変なんだという話が出ると、うちも親が介護状態でこうなんだという話がまた出てきたりします。人はさまざまなことや状況でいろいろ悩みが生じますから、集談会ではさまざまな悩みが語られて、誰かと共感できて癒されたり、「こういうときは自分はこうしたらすごく良かったですよ」という有用な情報が得られ、すぐ活用できて助かったりということがしばしばあると思います。身近な隣人からの情報や支援というのは、とてもわかりやすくて、受け入れられやすいですね。平易な、日常生活の言葉で語られるので、受け入れられやすいということがあります。
 このような、当事者が担う活動は、市民に受け入れられやすく、容易に広く普及していきます。そして、市民生活のニーズをスピーディーに反映して、柔軟な活動が展開できるという大きなメリットもあります。
 そしてまた、全都道府県に分布して150カ所の地区集談会が毎月開かれているということ自体が、メンタルヘルス活動として大きな底力を発揮する原動力になっていると思うのです。月々にそこに集う膨大な数の人々が、そこでサポ-トされているということだけでも大変なことです。身近なところに集う場があることの意味も大きいでしょう。また、今日、この会場に全国からこれだけ多数の指導的役割を担ったかたたちが集まられて、熱心に学んだり討議したりなさっていること自体も、発見会が生きた活動をしていることを示してもいると思います。私は、集談会を長年継続して開催し続けてきたみなさんの忍耐強さや、並々ならぬ努力の集積の偉大さに、本当に頭がさがる想いがしています。やはり、それも当事者の底力ならではだなあと、改めて思います。
 参加者の生活圏に根ざした地区集談会活動ならではの意義も大きいと思います。12月号でも紹介しましたが、ライフサイクル上の危機や、また現代に特徴的なメンタルヘルスの問題も、そこにいろいろな形で投げかけられ、また援助がなされています。情報として把握されていない無数の活動が、きっとそれぞれの集談会で行われていることだろうと確信してもいます。

(2)助力者原理が生む活動エネルギーの循環(スライド(9))
 さきほども話しました助力者原理ですが、それがとても有用な力を発揮するのです。かつて援助を受ける対象者だった人が、回復して援助者となり後進の人を助けるようになり、回復した人が、次の人の回復を助けていくわけですから、非常に経済効率がよく、次々とエネルギーが生み出され続けるということになるわけなのですね。しかも、回復者は使命感を持ってボランティア的に活動を担い、また、活動することでいっそう活力を得ていくわけですから、強力な活動エネルギーを循環的に生み出し続けることになります。効率がよいだけではなく、親身かつ熱心な、血の通った活動がなされることにもなるでしょう。

(3)多数の多彩な回復者を輩出(スライド(9))
 精神科の治療や、心理相談(カウンセリング)を受けることへの抵抗感は、最近だいぶ少なくなってはきましたが、まだまだ根強いものがあります。悩んでいても、相談する気にならない、または迷うが踏み切れないというかたがたくさんいらっしゃるかと思うんですね。そういう、医療の場には登場しないかたたちが、悩みを抱えて生活していて、何かの情報で発見会を知り、電話をしてみたり、身近で行われている集談会を知って、行ってみようかという気になったり、というふうに、気楽に行けますね。そのような経緯で会に参加して、発見会だけで回復する方がたくさん出てきたわけです。その人たちが示す回復像は、今までの治療機関の中で回復してきた人とはだいぶ違う回復過程だったり、また回復者像であったりします。別の表現をすれば、社会生活を問題なく送っている人たちも多くそこに登場してくることになったのです。そして、そこから、心の癒しの多彩なモデルが生まれてきていますし、いろんな回復の仕方があるということが示されていると思います。これはまた、一般市民たちのメンタルヘルスの保持・増進や、多様な生き方モデルの提示という分野にも生かされるものだと私は考えます。
 そして、また、回復者で力量のあるかたがたくさん出てこられて、人間性回復体験の多数の報告がなされてきました。それは発見誌の体験談であったり、いろいろなところで実際に話されたりとか、それからボランティア活動をなさったりなど、いろいろな場でそれを示していらっしゃると思います。そして、使命感を持った有能な活動家をたくさん輩出してきました。私はここに集われたみなさんは、みんな力量のある回復者であり、使命感を持った活動家だと思います。

(4)メンバーが担う、非営利の活動
 最後に、セルフヘルプ・グループ活動の特徴としては、メンバー中心の活動であり、専門家の関与はないか、あってもわずかであることです。このことは、私たち専門家の側も、無用な介入をしないように気をつけなくてはいけませんが、また、みなさんも、発見会のメンバーとして胸を張って活動を展開し、専門家にも臆せずアプローチもしていただきたいと思っています。
 これまで述べてきましたように、セルフヘルプ・グループ活動は、回復者(当事者)、すなわちみなさん自身が担っているというところに意義があるので、私たち専門家は、サイドからは援助できますが、会の方向とかを云々する立場ではないのです。ある種の自助グループの中には、医者だとか指導者がかなり関わっているグループがあります。また治療者に依存している傾向があるグループもありますけれども、発見会の場合は、正真正銘メンバーのみなさんが担っていらっしゃる活動になっていると思います。
 もうひとつ、セルフヘルプ・グループの条件として、経済的な利潤を追求する団体ではないということがあります。これがまさに、発見会が特定非営利法人(NPO)となったことの所以(ゆえん)でもあるわけです。

(4)社会的な高い評価、社会への情報発信 
そんな、使命感を持った有能なメンタルヘルス活動家の筆頭が岡本常男さんでしょう。中国をはじめ世界に森田療法を広めたりと、そのとらわれないエネルギッシュな活動には目を見張る想いがします。岡本さんが、2002年に保健文化賞を授与されたのはみなさんご承知の通りです。
発見会も1998年に、森田理論を応用した幅広いメンタルヘルス活動への参画・支援を地道に行ってきたことが高く評価されて、この分野では一番権威がある保健文化賞を受賞しましたよね。これらの社会的な高い評価は、発見会活動の確かさや、地道な継続性、そして幅広い柔軟かつ有用なメンタルヘルス活動の成果に対してなされたのだろうと考えます。
 その意味からも、発見会が活発に行ってきた社会への情報の発信や啓蒙活動も目覚しいものがあります。社会的役割の拡大と増大という、いろいろな出版活動、講演会、セミナーなど、各地域でいろいろなメンタルヘルスのセミナーなどが行われていて、北西先生などの講演会が開催されたりしています。
そんな時にも地元の会員のかたたちがとても熱心に普段の地道な活動の仲間といろいろなネットワークの中で準備をしていただき、そこに先生がたが来られて、とてもいい講演会が開催されているのです。先生たちだけではとてもそうはいかないでしょう。専門家とセルフヘルプ・グループである発見会が相互に協働し合って、はじめて有意義なメンタルヘルス講演会が実現していると思えるのです。 
今回の森田療法学会での発表で、最も私が伝えたかったのがここのところです。セルフヘルプ・グループとして活動している生活の発見会だからこそ行える、特徴的なメンタルヘルス活動の内容とその意義についてです。前号から本号にまたがって述べることになってしまったので、流れが少々つかみにくくて申し訳ありませんが。前号では、次のような内容について述べました。(2月号参照) 
(1)壱当事者が担う活動、地区集談会
(2)助力者原理が生む活動エネルギーの循環
(3)多数の多彩な回復者を輩出
(4)社会的な高い評価、社会への情報発信 次に話すことは、私が特に強調したかった発見会のメンタルヘルス活動的意義です。

セルフヘルプ・グループ「生活の発見会」のメンタルヘルス活動的意義(2)

11

スライド(11)

(5)当事者と専門家と市民の三者が協働する場(スライド(11)) 
 スライド(11)の図を見てください。この図を、ぜひみなさんの頭の中にインプットしておいていただきたいなと思います。これは、セルフヘルプ・グループ活動が展開される場が、単に当事者のみの活動に終わらず、三つの異なった立場の人たちがそれぞれの力を発揮する場を提供し、それらが有機的に働きあっていくという構図を示しています。
 まず、全体を取り囲んでいる大きな楕円形は「市民性」を表しています。いずれの立場の人も、生活をする一市民でもあるわけですが、発見会活動という場では、三者とも一人の人間として市民性という共通のベース(土俵)に立っての関わりが育まれることを示しています。その中に、三つの円が重なっていますが、それは三つの違う立場の人を表しています。
 まず「当事者」ですが、これまで何度かお話ししましたが、神経症者または神経質者ご本人、すなわち発見会会員のみなさんのことです。それに協力する「専門家」の円が重なります。私や北西先生や協力医のみなさんだったり、医者以外の専門家、たとえば心理のかたや編集・出版関係者その他各種専門家のかたたちの支援も受けているかと思います。そして、そこに関わる三つ目の立場が「素人・ボランティア」(一般市民)という円で、さまざまな人がここに入ると思います。たとえば、ご家族の協力も大きな力となっているでしょうし、近隣や職場のかた、月々の集談会その他の活動にさまざまな形で親身に協力してくださっているかたたちが、みなさんの身近には多数いらっしゃると思うのです。セルフヘルプ・グループは、この三者が連携し、協働して活動する場になっているということをこの図は表しているのです。
 各三者の特徴などをもうすこし述べてみます。当事者が行う活動の特徴は、市民的ニーズを汲み上げているので、柔軟かつ多様であることです。これは前に詳しくお話ししましたので省きます。そして、三つ目にあげたボランティアのかたたちの活動というのは、まったく自発的・主体的なもので、自らの中でその活動に関わる意味を感じて自主的に支援しているわけです。そのような立場ですと、とても自由な発想やとらわれのない行動ができますから、既成の制度とか法律とか慣習とかに縛られずに、社会がまだ取り組めていないような先駆的で柔軟な活動を、しかも、失敗を恐れずに積極的にできる力を持っているのです。当事者とともに熱心に活動する市民グループが、最近多くの分野でみられるようになってもきましたね。彼らは、身近に感じている矛盾や、制度の狭間で落ちこぼれている問題などに取り組みはじめ、次第に大きな力となって社会を動かしたりもするわけです。そういう先駆的な活動が生まれる可能性があるということですね。
 そして二つ目の円として挙げたセルフヘルプ・グループ活動に関わっている専門家たちは、専門機関の枠の中で専門的治療や援助をする場合と違って、一市民として自らの人格や生きる姿勢や生活感などが自然に引き出されます。このような、市民性を持った専門家の活動支援は、異なった立場の三者が、共に市民性という共通かつ対等の立場に立って協働していく状況をつくり、理想的でしかも今日的な活動を大きく進めることになるのです。
 しかしここで言う対等の立場に立つことの意味は、三者がまったく平等・均一になる(ボーダーレス)ことではありません。専門家は専門家としての知識だとか、いろいろな方法論などをそこに提供しますし、当事者である発見会のメンバーのみなさんは、自分が回復してきた体験に根ざした観点から活動を発想するでしょう。また、背負っているバイアスが少ないボランティア(市民)は、他の二者が持つ枠にとらわれない自由な発想をするでしょう。それぞれの立場の独自性があってこそ、協働することから豊かな活動が生まれ続けるのです。ですから、当事者(会員)では、神経症の体験と回復した体験こそがその独自性であり、大きな価値があるのです。

協働することで新しい力が生まれる
 少々理屈っぽい説明で、どこまでご理解いただけたかなあと思いますが、みなさんが携わっておられる発見会活動で日頃接している人たちを思い浮かべてみてください。たとえば専門家としては、地元の協力医の先生の顔が浮かびますか。その先生に、はじめ病院で会った時には近寄りがたくて緊張しませんでしたか。しだいに互いになじんできて、協力医として集談会に参加したり地域の研修会に講師として来てくれたり、何かのイベントにも参加してくれたり、飲み会で酒を酌み交わしたりするうちに、とても親しみを感じてきて、人間臭い一面を発見したりもするでしょう。今日来ておられる北西先生や私などは、もうまったく仲間の一員と思っていただいていると思いますが、いかがでしょうか。
 このように、異なった立場の三者が共通のフィールドで互いに協力することは、これらの力が加算して発揮されるということに留まりません。互いが働きあうことで、各立場の人々を啓発して新しい力や価値観が生まれるのです。発見会はこのように、三者が協働して活動する場を全国各地域で提供しているわけです。このような活動が活発に展開されていると、医療・保健の分野だけでなく、福祉や教育などさまざまな分野の活動も関わる場になっていくと思います。これらメンタルヘルスの関連分野との交流や連携をぜひすすめて行っていただきたいと思います。専門機関や専門家への働きかけも、気が重いからと避けてしまわないで、ぜひ積極的にしてください。
 このようにセルフヘルプ・グループ活動の場では、創造的な活動が展開されていくだけではなく、そこに関わっている個人にも変化をもたらします。影響を受けることが少なそうな専門家(治療者)も、セルフヘルプ・グループ活動に関わることから大きな影響を受け、治療者のアイデンティティーにも関わるような自己変革体験をすることもよくあるのです。そう言ってもピンときにくいでしょうから、私自身の体験を例にとって話してみたいと思います。

(6)専門家の自己変革体験(私の場合) 
 私自身が、セルフヘルプ・グループによって育ててもらったという想いがとても強いものですから、少し寄り道になりますが、そのプロセスなどを話してみたいと思います。私だけではなく、セルフヘルプ・グループ活動や発見会活動に熱心に関わり続けておられる専門家のかたたちが、しだいに変わっていかれるのを感じることがありますよね。ここに居られる北西先生も明らかに変わられたというか、失礼ながら、とても人間味が増して成長なさった(笑い)ように私は感じますが、みなさんはどう思われますか。
 未熟でまったく自信がなかった私が、一人前の精神科医になるための最初の関門は、女性アルコール依存症者との熾烈な戦いでした。「アルコール依存症も治せないダメな精神科医」、「アル中にも侮られる頼りない女医」とみられまいと必死だった私を、筋金入りの女性アルコール依存症者たちはこれでもかと翻弄し続けました。「医師は病気を治す力を持たねばならない」という万能感を持ち、その裏では「自分は病気を治せるだろうか」という恐れと「治さねばならない」という硬直した義務感にとらわれ、治せないことにコンプレックスを感じ、「絶対に治してみせるぞ!」「治さねば」とむきになっていき、とらわれていったのですね。考えてみれば思想の矛盾に陥っていたわけで、神経症と同じですね(笑い)。しんどかったです。
 悪戦苦闘の末に精根尽き果てた私は、「私にはアルコール依存症は治せない」と白旗を掲げました。その時はもう恥も外聞もなく、本当にこの人たちは自分にはどうにもならない、治せないことを認めざるをえなかったのです。「私には治せないけど、自助グループ(AA)に一緒に通いませんか」と提案したんです。その時たぶん五人ぐらいの女性アルコール患者さんが入院していたと思いますが、それからAA通いがはじまりました。そしてそのほとんどがAAに定着して、回復したのです。
 それまで一人も治らず難治だったアルコール依存症者が、ただセルフヘルプ・グループに通うだけで次々に回復していくなんて、まるで奇跡のように私には思われました。「治せなければ有能な医者じゃない」「医者は病気を治さねばならない」というとらわれがなくなった時、医師の万能感という呪縛からようやく解き放たれたのです。突っ張らないで、あるがままの自分でいいんだ、専門家にも限界があっていいと思え、できないことはできないと率直に認めたらとても楽になりました。

「医者としての無力」がわかった時
 そうすると不思議なもので、それまで見えなかったアルコール依存症者の気持ちが良くわかるようなり、患者さんたちからも信頼されるようになったのです。きっとその時に、「良い医者と評価されたい」というとらわれから脱したのだと思います。それが、私が「医者としての無力」がわかったときだったのだと後からわかりましたが、森田療法による神経症からの回復とピッタリと符号していますよね。この「無力」という体験は、「あるがまま」を別の角度から表現していると言ったほうがわかりやすいでしょうか。これが実感として体得できたことは、私にとって非常に意味深いことでした。
 「無力」を受け入れるということは、医師としての価値観やあり方としてだけではなく、治療理念としてもとても深い示唆を持っていることもわかってきました。そして、私の中で、それがアルコール依存症の治療と森田療法とそして人の生き方とが深いところで通じ合う原点ともなっていったのです。そんな想いがあるものですから、一層の横道になってしまいますが、もう少し「無力」について話させてください。
 森田療法でも、「治そう治そうと思っても治らない、治らないと思ったときに治る」と言われますが、アルコール依存症の回復でも。回復の第一段階は「無力」を認めることなのです。自分はもう生きていくことがどうにもならなくなった時に、観念して自助グループに任せることにする。「ハイヤーパワー」という大いなる力に身を任せる決心をした時に、はからいがい消えて正気に戻っていることに気づくわけです。これが、AAの12段階ある回復のステップのうちの第1・2・3のステップなのです。第1ステップが無力を認め、第2ステップが身を任せることにする、第3ステップは任せることで自分が正気に戻ることを知ったという、3つのステップというのはとても大切なのですが、これは森田療法にもぴったり符合するんですね。
症状は治らない、あきらめろと。これを一生背負っていくのかとがっくりするわけですけれども、そして、そこで森田先生の達見は、「治らないけれども、ぼくに任せろ」と言ったんですね。もう何も考えないで、自分に任せなさいと。または、他力本願という言葉がありますが、今なら森田療法に任せる、または発見会に任せる。そうすると、何か大いなる力があって、電車に乗れるようになっちゃったとか、前よりも生きやすくなってきたという、それが実際に起きてくるんですよね。
またもうひとつ、私がセルフヘルプ・グループとの関わりから学んだのは、アルコール依存症者や神経症者がセルフヘルプ・グループの中で回復する姿を数多く見てきたことで、ひどい状況の人たちが(ごめんなさい)がみごとに回復することを信じられるということです。そこが私の医者としての私の専門性でもあると思っています。
 またさらに、回復のプロセスを当事者からたくさん学びました。たとえば、アルコール依存だった人が、回復して女性としてもすばらしい生き方をしている人が何人もいるんですけれども、その回復のプロセスを時々伝えにきてくれるんですね、診察で話しに来るということで、こちらは、お金をいただいて、みなさんから学ばせてもらっているようなもので申しわけないのですけれども(笑)。
 私のそんな体験からも、もっと日本中の精神科医が発見会の力を信じて、いろんな回復のプロセスを示す方の体験を聞かれたら、森田療法ってすごいんだなとか、なるほど、こういうふうにして回復していくのかと、とても勉強になるのではないかと思います。

セルフヘルプ・グループ「生活の発見会」のメンタルヘルス活動的意義 (3)

12
スライド(12)

(7)市民生活上の心の問題への関わり(スライド(12)) 
 最後に、スライド(12)に示しましたのは、地道なセルフヘルプ・グループ活動が継続するときに、しだいに社会的な機能が発揮されていくのですが、それをいくつかの角度から述べてみました。ここまでにお話ししてきたこととも重なるので簡略に項目をあげる程度にしますが、一つは現代に生きる人々に生じている心の問題にさまざま関わってきていて大きな力になっています。
 前に、引きこもりなどさまざまな問題に取り組む心の会の活動が生まれているという話をしましたね。そういう活動が近年大変活発になっています。そのような地域の中で行われている活動は、全県に設置されている「精神保健福祉センター」などの機関が把握したり、また育てようとしています。ぜひそこに働きかけていただきたいとも思うのです。

(8)地域保健・福祉ケアシステムに参加し、地域内に新たなソーシャルサポート・ネットワークシステムを形成する 
 文字通りなのですが、これこそ専門家や専門機関または行政機関だけでは作れないもので、人が安心して生き生きと生きていけるためにはさまざまな活動が展開されなければならないと思います。NPO法人となって、新たな活動を展開しようとしている発見会のみなさんには、ぜひこの視点を持っていただきたいと思います。
 私は前に、栃木県の精神保健福祉センターの所長を七年ばかりやっていたのですが、そこは県民の心の健康を増進する活動や、地域精神保健のあらゆる活動をやらなくてはいけないんですね。発見会のみなさんはとても健康で非常に力量があるかたたちだと思っていますので、関わっていただくと、地域の側にとっても大きなひろがりがうまれるでしょうし、また発見会の側にもたくさんのメリットが生まれると思います。まず声をかけてとっかかっていただけたらうれしいと思います。

(9)精神的問題・病気・障害の偏見・差別への働きかけ
 これは、前の方でセルフ・エスティーム(自己尊厳)というところでお話ししましたが、みなさんが発見会で活発に活動なさること自体が、精神的な問題への社会の偏見や差別をなくしていくことにつながっていくということですね。

(10)「森田理論は普遍的な人間学として、人間らしい生き方を導く指針になる」
    (長谷川洋三)
この長谷川先生の言葉・お考えは、まったくその通りだと思います。最近は本当に深刻で考えさせられる事件が続発していますよね。
他人事ではないなと思うのは、つい最近の奈良の医者家族の事件です。家も似たような医者の夫婦なので、本当に冗談ではなくひしひしと感じているんですが、あのかたたちは、お父さんも悩んでいた、お母さんも悩んでいた、あの放火した男の子も悩んでいたと思うんですけれども、助けを求められなかったのでしょうね。一見中堅でしっかりしているというふうに見える家庭の中があれだけ崩壊しているという。まわりの人の言葉を聞くと、「すごくいい子で、なのにどうして」「まわりからも好かれていて、成績もよくて、スポーツマンで、兄弟仲もよくて、家族関係もよくて」と。じゃあ、どうして……と。でも、その後わかったのは、お父さんが非常に期待して暴力まで振るい、子ども部屋を「ICU(集中治療室)」と呼んで、そこで勉強をさせていた、ぞっとしますね。子どもにとって一番ほっとするべき自分の部屋を、「ここはICUだぞ」と言って、最も苦しい場になっているわけなんですよね。そこまでしなくても、私たちも、子どもの気持ちを思いやるよりも、期待から追いつめるような言動をしているかもしれませんね。
「私は悩んでいて、つらいんだ」「どうしていいかわからない、助けてください」と言って発見会につながったり、アルコール依存になって、AAにつながることができ、回復できるというのは、かえって私は幸せだと思うんですよね。
社会に向けて、「みなさんも、一人で抱えていないで、もっと気楽にこういう会に参加して、自分の悩みを語ってみませんか」というふうに発信したりとか、「私は、神経症に悩んで、かえっていっぱい得ましたよ」「人が生きる意味がわかりました」ということだとか、さまざまな価値観、いろんな生き方があることを世の人々に伝えてください。挫折もあるときには必要だとかね。あの事件のお父さんがもし挫折を体験していたら、あの子はああならなかったですよね。順調に外科医になっちゃったというのは、あのかたの一番不幸なところですよね。自己を生かす新たな生き方があることを、社会に向けて提案したり、みなさんが発信していらっしゃることの意味を、お感じいただき、胸をはっていただきたいと思います。悩んでいるけれど外に出せないでいる人たちに、「悩むというのはいいことですよ」「悩みを語り合ってみませんか」という発信をし、もっと違う生き方、新たな生き方を提案していくことが、みなさんのとても大きな役割だと思うんです。

私と長谷川先生のこと

 これは、発見会で出された本の題名なんですけれども、『悩むあなたのままでいい』。とてもいい題名ですね(笑)。それとか、『悩みには意味がある』。「悩んでいるあなた自身もいいし、悩むことに意味がありますよ」という発信、それから『あるがままに生きる』というのは、私の父の著書の題名なんですが、それと最後にあげた『あるがままに生き、心豊かに老いる』というのは、みなさんご存じのとおり、長谷川先生が亡くなられた後に出版された本の題名です。
 これは、実は、私が栃木県の精神保健福祉センターの所長をしていたときに、「心の健康フェスティバル」を行った際、「中高年の人がどう生きるか」というのが大きいテーマになっている時代なので、年配のかたで素敵な生き方をしたかたに、ぜひ講演をお願いしようと考え、長谷川先生がパッと浮かび、お願いしたのです。この「あるがままに生き、心豊かに老いる」、その副題には、「人生の達人が語る」という(笑)のがついていたのですが。私のセンターで考えてお願いした講演のテーマなんです。その講演の内容が本になり、題名もそのままつけていただいて、とてもうれしく思いました。
 その年の秋に、実は長谷川先生が亡くなってしまわれたんです。大手術をなさって、まだ体力も十分ではなかった時に、栃木くんだりまで引っ張り出しまして、私は十分そこを認識していなかったものですから、電話で「お願いできますか」と伺ったら、「いいよ」と割と気楽に引き受けてくださったものですから、私も何しろ少々配慮が足りない人間なものですから、良かった、いい講師をつかまえたと思って(笑)、「じゃあ、こういう題名でお願いします」と。でも一応は先生が手術なさったということは知っていましたので、「ご無理だったらいいですよ」とは申し上げたんですけれども。たぶん、私がお願いしたので断り切れなかったのでしょう・・・。
 初めのほうでもお話しましたように、家を飛び出した私は、先生の晩年にようやくいろいろ交流を持つようになってきたものですから、その私のために行ってやろうと、思ってくださったのだと思うのです。そのとき、栃木の発見会のかたたちにも集まっていただいて、前の晩に宴会を持ち、お泊りいただいた翌日に講演をお願いしたんですけれども、その宴会の席で、私は半分は冗談を含めて、「この発見会がこれだけ発展したのは、父が亡くなったからことがきっかけですし、もしかしたら私は、生活の発見会を生んだ影の功労者じゃないでしょうか」と言ったんですよ(笑)。私には罪悪感がとてもあるものですから・・・。そうしたら長谷川先生は、「それは、合理化っちゅうもんだよ」というふうに、一言のもとに言われまして・・・。また、その時の先生との会話で印象深かったのは、私が「ずっと父を死に至らしめたという罪悪感があって、ずっとそのことが気になっています」と言いましたら、長谷川先生はとても温かい口調で「そんなことは、もう全然ないよ。とっくのとうにお父さんは許していると思うよ・・・(涙)」と言っくださって・・・、ここで泣く予定ではなかったんですけれども・・・。家出をして、仲たがいしたまま父は亡くなったものですから、先生の言葉が、まるで父親に「おまえを許したよ」と言ってもらえたような気がしたんです。
 こんな講演の演台で、こういうふうに涙すると、北西先生から「比嘉先生、またボーダーレスやってるよ」と言われそうですが、北西先生に言われたときは、「先生は、専門家としての見識がちょっと欠けているよ」と批判されたように感じたんですが、最近思うに、それが私の特徴だと、他の人が真似られない私の特技なのだ(笑い)と開き直ることにしました。 終わりに 長々と私的な体験や考えをふんだん(?)に織り込んだ話を聞いていただいてありがとうございました。
父や長谷川先生や多くの方たちが心血をそそいでつないできた「生活の発見会」を、セルフヘルプ・グループという観点から話しをさせていただきました。
 こういう機会を与えていただき、また四号にもわたって多くの紙面を使わせていただいて大変嬉しくありがたく思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

以上

代表的な体験談を 集めてみました
どうして自助グループ活動
なのでしょうか
一度
、会を見てみたい方は
こちら
生活の発見会の
入会手続きはこちら
お近くの発見会はこちらから