森田療法の自助グループとしての発見会の役割について(1) / 比嘉千賀 (ひがメンタルクリニック院長)



第23回日本森田療法学会・シンポジウム発表のご報告

01

みなさん、こんにちは。この発見会の中心になっておられるみなさんの研修会でお話をさせていただく機会をいただき、大変うれしく、ありがたく思っております。
ご紹介いただいたとおり、私は発見会の協力医になったりして、側面のサポートをさせていただいてきたのですが、私自身が発見会から支えられて、多くのものを得させていただいてきたなと感じていますので、今日は、私がみなさんにお話しするというよりも、私が何を得ているかということをみなさんにご報告して、そして、これからも共に協力し合っていく仲間としてよろしくお願いしたいというふうに思っています。

学会シンポジウム『森田療法の拡がり』で「生活の発見会」の活動を報告

今日皆さんにお配りしたレジュメは二種類あります。一枚だけの「セルフヘルプ・グループの三つの働き」と、もう一つは三枚つづりのです。まず三枚の方を見てください。これは学会発表スライドなのですが、最初のスライド(1)(省略)を見てください。タイトルに『森田療法の自助グループへの展開と地域への拡がり―「生活の発見会」の活動を通して―』とあり、その下に、「平成17年10月・京都・日本森田療法学会シンポジウム」と書いてあります。これは昨年京都で行われた、第23回日本森田療法学会の『森田療法の拡がり』というテーマのシンポジウムで、シンポジストを頼まれて発表したものです。
 このテーマをいただいた時に、私はすぐ、発見会の活動こそが森田療法のすそ野を広げ、いろいろな次元への発展をもたらしたと考え、発見会の活動を紹介することが一番ぴったりくると考えました。しかし、発見会のメンバーとして活動していない私が発表してよいのかという疑問と、品の悪い表現ですみませんが「他人の褌で相撲をとる」みたいで申しわけないとも感じて迷いました。
 そこで、横山理事長さんにご相談しましたところ、私が発見会の活動を発表することを快く承諾してくださいましたので、発見会を紹介する発表をさせていただくことにしました。この意味ででも、今日みなさんに聞いていただけることは、私の方からも、ぜひお願いしたかったことですし、これで私のお役目を果たせるなあと、今、とてもうれしく思っております。

森田療法、発見会のサイドで生きてきた」という感覚
~父・水谷啓二の傍らで発見誌を見ながら育つ~

学会の当日のシンポジストは四人でしたが、自殺予防の観点に森田療法を取り入れた青森県精神保健福祉センターの渡邊(直樹)先生や、学生相談室のカウンセラーの方など、いろいろな立場の方々でした。その中で、私がなぜ発見会をとりあげたのかを、まずはじめに話しました。スライド(2)(省略)を見てください。ひとつには、発見会活動がこのテーマにぴったりで、私も協力医としてその活動に関心を持ってきていたから、ということがあります。
もうひとつ、私には大切な理由がありました。私の生き方や立場が、森田療法や生活の発見会のすぐそばで、「サイドでずっと生きてきた私」という感じがしているということです。森田療法とか生活の発見会というものが、私にとっては、とても大きな存在で、長い間その中で息づき、その中で育ってきたという感覚があるのです。そんなことも発表の中に少し織り込ませてもらいました。とてもプライベートなことなのですが、この発表をするための動機として欠かせないので、あえてあげてみました。
 すなわち、「生活の発見誌を発刊し、発見会の前身の啓心会を主宰していた水谷啓二が私の父であり、その中で育った」ということです。
ここで父を引き合いに出したのは、もうひとつ理由がありました。「水谷啓二(回復者・当事者)」のサイドラインの部分を強調したかったのです。これに関しては後で詳しく話しますが。こういう人が親であったことが、あるときはとても迷惑だと思ったこともありますが、今は、大きな宝物を父からもらったことに大変感謝しています。私の体験も交えながら、発見会・発見誌の草創期のお話しを少ししてみたいと思います。
 みなさんご承知の「生活の発見」誌は一九五七年(昭和32年)に創刊され、現在すでに通算五五〇号を超えており、今なお毎月、充実した内容で出されているわけで、この功績は大変なものだと思っています。「生活の発見」誌はその昔、父が主となって発行し、長谷川先生も支援してくださっていました。父がやっていた頃、発見誌が出来上がってくると、私の家は大騒動となりました。入寮生と家族総動員で宛名書きや袋詰めをしたり、郵便局までリヤカーで運んだり、そんな手伝いを子ども時代にやっておりました。父から文章を書けとか言われて、いやいやながら時々書いたこともありました。
 当時父は、発見誌の発行と同時に、今の集談会につながるような集いを、豊島園の自宅で月に一回、「啓心会」という名前で行っていました。その発足が一九五六年(昭和31年)で、私は中学生の思春期真っ只中でした。その後、高校、大学時代を通して、啓心会の末席に座らされたり、座布団やお茶運びをしたりしながら、ずっと傍らで見聞きしながら育ってきました。父の話もさることながら、体験を話されるみなさんのお話が興味深かったのを記憶しています。森田療法漬けの思春期・青年期でした。
 その父が、1970年(昭和45年)に突然亡くなり、そこから長谷川先生が孤軍奮闘なさって、現在の発見会を立ち上げられたのです。もちろん、長谷川先生だけではなくて、みなさんが力を合わせ、大変なご苦労をなさって、現在の発見会の礎をつくられたわけです。父がやっていたのとは内容的には少々違いますが、基本的な理念を引き継いで発展させ、全国に広げていただいたことに、私は深く感謝しております。
 こんな経緯から私は、生活の発見会にはもっともっと関わり、活動をご援助しなくてはいけなかったのですけれども、以前に発見誌に書いたことがありますので事情をご存じの方もあると思いますが、親に造反し、ついでに森田療法にも造反して飛び出してしまったのです。そういうことで、私自身はこれまで一度も発見会の中からは担ってこなかったのですが、いつもどこかで何だか自分の家族というか、他人事に思えない、すぐそばに在るという感覚・想いがずっとしてきているのです。

アルコール依存症治療のセルフヘルプ・グループ体験

発見会が森田療法の裾野を大きく広げた重要な要因のひとつが、セルフヘルプ・グループ機能であると考えるのですが、そこにも、私との接点がありました。 
 私が、若気の至りで、親にも大学にも、森田療法にも造反して飛び出したときに勤務した病院が、たまたまアルコール依存症という病気の治療を多く手がける精神科の病院でした。そこに16年間勤務しましたが、自分で望んだのではなく、やむをえずアルコール依存症の治療をするはめになりました。なかなか直らず、正直とても苦労しました。そんな中で、患者さんたちが、セルフヘルプ・グループ(自助グループ:「断酒会」や「AA」など)で回復していく過程をずっと見聞きすることになったのです。アルコール依存症や薬物依存症、ギャンブル依存症、摂食障害、借金依存などをアディクション(嗜癖)というふうに言いますけれども、その裾野は今日かなり広がっていますが、嗜癖からの回復にはセルフヘルプ・グループの存在が欠かせないのです。
 私はそれに長く関わってまいりまして、造反した青年期も過ぎ、それなりに落ち着いて臨床経験を重ね、患者さんの回復過程に学んだり、子育てをしたり、自分の生き方に悩んだりして20年ほど経った頃に、森田療法での回復と、アルコール依存症の回復の最終ゴールは同じではないだろうかと考えるようになりました。その頃また、生活の発見会の方から、「発見会をセルフヘルプ・グループとして整理して、会の活動をより良くしたいので、セルフヘルプ・グループについて聞きたい」という、思わぬお声がかかったのです。私がずっとセルフヘルプ・グループとともに歩んできた経験で、思いがけず、微力ながらお手伝いをすることができるなんて、と、とてもうれしくなりました。また、人生のめぐり合わせっておもしろいなあとも思いました。
 私は森田療法の発展には何も貢献してきませんでしたし、かえって父を早く死に至らしめて、非常に妨害的な行為をしたという罪悪感がずっとありました。そして造反して、全く対極の所で生きていたつもりだったのですが、ふと気がついてみたら、すぐ背中合わせのところに森田療法(生活の発見会)があったという感じで、自分がまったく意識しないで夢中でやってきたことが役立つことになったわけです。このことで私が思い出しましたのは、父がよく言っていた次のような言葉でした、「人間が回復していくプロセスはいろいろあっていい。ちょうどそれは、富士山の登山口が御殿場口だの吉田口だのあちこちにあるように、いろいろな方法があり、全く違った方向からのアプローチがあっていい。でもそれを極めれば、結局は同じところ、山頂に到達するんだ」と。
 父はまたよく、「森田療法もいろいろあっていい」と言っていました。「治療のやり方も、治療者のタイプも、いろいろあっていいんだ。森田療法による回復にも、いろいろな回復のしかたがある」と言っていました。私に父は、「おまえはおまえの森田療法のやり方ができれば、それでいいんだ」と言っていました。父は、私から見ると、ビシッとして権威的に見える指導のしかたをしていた人でした。私が精神科医になったころは、森田療法家というのはほとんど男性でしたが、みなさん結構権威がありましたね。そんな状況を見て、今の自分には、森田療法はできないし、する自信もなく、父のようには絶対にできないと思ってもいましたので、心の中で私は、「何言ってるのよ! 私に森田療法をやらせたいから、その気にさせるために言っているのでしょう」と思ったりして、ろくに真剣には聞いていなかったのです。そのまま家にいたら、森田療法をやらされてしまいそうでしたし、どうやってそこから逃げようか・・・という気持ちも無意識の内にあって、それが私が家出をする潜在的な要因であったかもしれません。

森田療法に見るセルフヘルプ・グループ的要素(1)

~大きい非専門家回復者の役割~

03
スライド(3)

父の「森田療法もいろいろ」という言葉から、もうひとつ脳裡に浮かんだことがあります。当時、森田療法は専門の治療者によって行われるのが当たり前でしたが、現在、非専門家集団の生活の発見会がこれだけ発展し、それによって多くの人々が癒されるという、大きな力を発揮する活動になってきたわけですが、それは、森田療法に、異なる次元への画期的な広がりをもたらしたと思うのです。父がそこまでを予測していたかどうかとは思いますが、私は、森田先生自身の考え方や奥深さがそれをもたらしたと考えますし、ずいぶん歳を経てから、その深遠さに感服しました。それがスライド(3)の「森田療法に見るセルフヘルプ・グループ的要素(1)」につながるのです。 スライド(3)でまず示しましたのは、森田先生自身が神経症の体験者であり、そこから回復をなさった方であり、その回復体験が森田療法の原点なのだと、私は考えていることです。森田先生の関心は大変幅広く、さまざまな分野の考え方を旺盛に学んで、これはというものはどんどん取り入れ、発展させたりなさったことは周知のことです。しかし、森田先生ご自身の体験が、やはり森田療法の原点になったと、私は思うのです。
 そして、森田先生自身が治療者であり、あれだけ偉い先生なのに、ご自分自身が神経症を体験したということを自己開示なさったことは、画期的なことだと思います。他にも多くの森田療法家が、ご自分が神経症を体験し回復した人間だということをオープンなさっていますが、これは森田療法の特徴と言ってもいいですね。鈴木知準先生もそうですし、ほかにもたくさんいらっしゃいますよね。精神分析をはじめ精神療法はたくさんありますが、治療者はあまり自分のことは言わないですね。しかし森田療法では、治療者自身の生き方も治療のありかたに関わってくるわけで、そこがユニークで、すばらしい点だと思うのです。
 森田先生は、ご自身が神経症を体験しているがゆえに、神経症に対する共感と深い洞察を得ておられました。その観点から、神経症者はどのように悩みを深めていくのか、実際にどうしたら回復するか、などを、実に無駄なく、端的に的を得て巧みに表現しておられます。森田療法の治療理論や技法は、それを実践するとなぜ良くなっていくのかなど、その途中のプロセスや回復要因をあまり詳細には解説してありません。このために、森田療法は理論的じゃないというように批判されもするわけです。私も若い頃はそう思っていました。しかし、精神科医を40年近くやってきてみて、森田療法は実に簡便で、かつ確実な回復をもたらす、実用的な精神療法だと実感しています。先生は、「人間の心の変化のプロセス」を実に深く洞察しておられたんだなあと感じまして、経験を積むほどにそのすごさがわかってきました。これは、精神医学理論である森田療法にあてはめた例えとしては適切ではないかもしれませんが、「ただ“南無阿弥陀仏”と念仏を唱えさえすれれば極楽に往生できる」という教えのように、すべての無駄を省き、大切な部分だけを切り取って、エッセンスだけを伝えられたのではないかと思うのです。
 スライド(3)の後半で示した「形外会」は、セルフヘルプ・グループの芽生えと言ってもいいかと思います。まだ完全に整ってはいませんが、ほぼ自助グループの要件を満たしています。治療を受けて回復した体験者(当事者)たちが自主的につくり、まだ悩んでいる人の回復を助け、自分たちもさらなる成長をめざすという目的で集いが行われていたのです。このようなやり方は、他の精神療法にはみられない独特なものですし、また1929年という非常に早い年代で先駆的です。そして、それを森田先生が推奨され、治療の一環として取り入れておられたことに、また驚くのです。通常、治療の場では、治療をする人が治療者(専門家)、治療される側が患者(非専門家:当事者)とはっきり区別されているもので、そこには越えがたい一線(境界線:ボーダーライン)が厳然としてあるわけです。しかし、森田先生は易々とそのボ-ダーラインを取り払ってしまわれたのです。そこがまた森田療法のすばらしさでもあり、大きな広がりがもたらされた要因でもあったと思うのです。

 これは少し横道にそれますが、この治療者(専門家)と患者・回復者(当事者)とのボーダーラインをめぐって、この後で話される北西(憲二)先生と私は、最近、激しい(?)論議を展開しているのです。多分、今日もこの後の懇親会で論議できるかなーと楽しみにしているのですが。北西先生から「比嘉先生はボーダーレス過ぎる」とご批判を受けていて、私も必死で反論して、激しいバトルをやっているわけです(笑)。なぜ私がボーダーレスになったかと言いますと、私は、先ほどお話ししたような環境の中で育ち、生活していた家庭そのものが、父が森田療法を行う場だったものですから、一緒に生活していた方たち(寮生と呼んでいましたが)に対して「患者さん」という意識がありませんでした。寮生の方たちは本当に普通の人と変わりませんでしたから、私の年齢変化によって、共に暮らしているおじさん・おばさん、お姉さん・お兄さんであったり、次第に友だち、そして妹になっていったりしたのです。また、父はいつも「神経症の人は非常に優秀なんだ」と言っていましたので、「神経質じゃないとだめなんだ」と思って、私は劣等感をずっと持っていたんです。一緒に過ごしてみて、みなさん真面目で、優秀ですし、誠実で信頼できる人達だと感じていました。すばらしく懐の深かった森田先生は、治療関係を遥かに越えて、人間同士としての信頼感を築き、愛情を注がれたのだと思います。回復した人たちは自分の仲間であり、家族であるということを、ごく自然な成り行きとして体現なさっていたように思います。

セルフヘルプ・グループ的要素(2)

~大きい非専門家回復者の役割~

04
スライド(4)

また、「形外会」の話にもどしたいと思います。スライド(4)には、形外会で森田先生がおっしゃった言葉を引用してみました。「全快した者は法悦に似たものを感じ、同病相哀れむ心がおこり、犠牲心が発動して、他の患者のために体験を打ち明けたくなる」、そして、「治った先輩は、まだ治っていない後輩を指導・援助するために形外会に出席すること。そうすることで、深い洞察が得られて、大我にめざめる」と。ここで話された言葉の意味がとても深い洞察に基づいたものだということに私が気づいたのは、アルコール依存症のセルフヘルプ・グループを20年ぐらいも学んだ後でした。これらの言葉が示しているのは、自助グループの中核的な理念である「ヘルパー・セラピー・プリンシプル(助力者原理)」という考え方そのものだったのです。森田先生って、何てすごい洞察力を持っておられたんだろうとつくづく感心します。この時代を考えてみると、遥かに遠いアメリカで、自助グループの出発点とも言うべきAA(アルコホーリクス・アノニマス)が、これから誕生せんとしていた、まさに夜明け前の時代だったからです。「治った先輩は、まだ治っていない後輩を指導・援助するために形外会にできるだけ出席しなさい。そうすることで、治った先輩であるあなた自身も、より深い洞察が得られて、より一層大我に目覚めて、人間的に成長しますよ」ということなのですね。
 「治った先輩」ですから、ちょうどみなさんそのままだと思います。すっかり回復なさった後も、こうして会の運営を支援し、後から来る人たちの回復を援助していらっしゃいますよね。援助した方たちが元気になってくれてうれしいときもあるでしょうが、大きな労力を費やし、きっと大変なご苦労をなさっておられるのではないかと思うのです。しかし、その努力を積み重ねることで、みなさんご自身が多くのものを得て、人間として大きく成長してこられたことは、ご自分自身が実感しておられると思います。このことが「助力者原理」です。別の表現では「天は自ら助くる者を助く」という言葉もありますね。自ら回復しようと懸命に努力し、また、自分と同じく悩んでいる人たちの回復に手を貸す人、「自らが努力し、人を援助する人自身が、もっとも援助される」ということなんです。そういう循環というか、回復した人が、また次の人を援助するわけですから、非常に効率がよく、援助するエネルギーが次々に生まれ出てくることになります。この原理を、森田先生は非常に鋭く見抜いておられたのです。
 スライド(4)の後半を見てください。これまで述べてきましたように、森田先生の広くて深い掌のなかで培われた精神は、多くの有能な非専門家回復者を誕生させ、彼らが指導的な役割を果たし、また、森田療法に多方面への広がりをもたらしてきました。森田全集の中でもいろいろな回復者が登場し、引用されていますよね。森田先生の代からどんどん優れた方たちが出現して、多彩な活動を展開して、森田療法の発展に貢献されてきました。おこがましくも言わせていただけば、父もそのひとりかと思います。
その精神がずっと受け継がれてきて、無数の力ある非専門家回復者を生んできました。最も身近で良い例は、岡本記念財団の岡本常男さんであり、発見会の理事長の横山博さんであり、また、ここにおられるみなさんです。このように、非専門家回復者の持つ力が、「治療」や「専門」という壁を越えて、十分に発揮する場が与えられてきたこと、そこに生活の発見会が誕生し、ここまで発展してくる必然性があったのだと思うのです。
父や長谷川先生や生活の発見会の活動を、強力にバックアップしてくださった高良武久先生が、「水谷君の本は、素人だからわかり易いし読み易い。その方が森田療法がぐっと広まるよ」と言って励ましてくださったと、父から聞いたことがあります。森田療法を現代に伝え広められた高良先生も、非専門家回復者の力量を大きく評価しておられたのです。

生活の発見の活動状況の報告

05
スライド(5)

06
スライド(6)

スライド(5)(6)では、最近の発見会の活動状況を具体的に紹介させていただきました。昨年はちょうど発見会活動が三十五周年を迎えた年であり、NPO(特定非営利活動法人)としてスタートした年だったわけですが、その節目の年に、森田療法学会で発見会の活動や意義を発表させていただく機会を得たことに、何かの引き合わせのような繋がりを感じました。みなさまには申し上げるまでもありませんが、どんなことを発表したのかを、ごくかいつまんでご報告したいと思います。 発見会の活動を紹介するにあたっては、発見誌の昨年の9月号(545号)に載せられておりました、「第30回総会報告・NPO法人生活の発見会総会報告」を参照にさせていただきました。活動内容は多岐にわたっていますので、一応ざーっと羅列的にあげてみました。一部分は、会の事務局に問い合わせたりしました。
 スライド(5)では、活動の全体を紹介しました。なんと言っても各地域で行われている集談会が中核であること、そして、相談活動、専門・関係機関など地域との連携や、メンタルヘルス活動、広報・出版活動など幅広い活動をしていることを紹介しました。 そして、スライド(6)では、その時点での会員数や、集談会が151ヵ所あり、全都道府県にあること、そして、平均して月1回の会合が各地域で地道に行われていることを紹介しました。このことは、発見会がセルフヘルプ・グループ機能を発揮するために重要なのです。すなわち、悩んでいる人のすぐ身近な所で集いが行われているということがとても大切だということです。私が長年関わってきたAA(アルコホーリクス・アノニマス)では、地域の中の公民館や教会やその他を会場にして、ミーティングを開き、できるだけ毎日どこかのミーティングに参加できるようにしています。次々に新たなミーティング場を開き、それを維持して新たなメンバーの回復を支援することは、回復者たちが自らの使命として担っていくのです。回復した人は、「自分の回復体験を、まだ悩んでいる仲間に伝える(メッセージを運ぶ)」と言いますが、この行動が彼らの回復のステップの中に組み込まれているのです。それも、12段階設けられている回復ステップの最終段階に位置づけられている重要な活動で、次のような文で表されています。「12.これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、このメッセージをアルコホーリクに伝え、そして私たちのすべてのことにこの原理を実行しようとした」。AAの機能がしっかり守られるための「12の伝統」では、「5.各グループの本来の目的はただ一つ、いま苦しんでいるアルコホーリクにメッセージを運ぶことである」と。
 スライド(6)の後半では、中核の集談会だけではなく、会員のニーズに沿って行われるようになってきたテーマ別懇談会を紹介しました。これは、発見会が神経症からの回復のみならず、その時代やライフサイクル上のメンタルヘルス的な問題にも関わるようになってきていることを示していて、興味深いと思ったのです。中高年問題や、青年問題、女性集談会などなど、もっと各地域では多種な懇談会が行われていると思いますが、私がわかる範囲でご紹介いたしました。これらの会が立ち上がってきたのは、やはり、互いの生活が見える、地域に密着した活動を継続しておこなってきたところから、必然的に生まれてきたのだと考えます。これも、発見会の特徴だと思います。
 スライド(6)の最後に、各地域に協力医がいて、全国で200人に及ぶことを紹介しました。これも大変な数で、発見会をサポートする役割としての意義はもちろんですが、森田療法をより深く理解していただく上でも、また、発見会という自助グループで神経症がみごとに回復していくことを現実にわかっていただくという効果もあり、三重の意味があると思っています。地域のメンタルヘルス活動を担うネットワークを広げる意味ででも、互いが協力していくことが今後も重要だと考えていますし、学会の時にも、「関心のある先生は、ぜひ協力医になってください」とも呼びかけました。発見会のみなさまも、協力医を大いに活用して、地域の中でもっと幅広い活動をしていただきたいと願っています。
生活の発見会のセルフヘルプ・グループ機能の検証

07
スライド(7)

それではこれから、生活の発見会がセルフヘルプ・グループ(自助グループ)の機能をどのように備えているかを検証してみたいと思います。
スライド(7)を見ていただくと、そのタイトル「生活の発見会のセルフヘルプ・グループ機能の検証(1)」の次に、【わかちあい】【ひとりだち】【ときはなち】と書いてあります。これは、セルフヘルプ・グループで心の回復がもたらされるときに、どんな機能が働いているのか、そして、どんなプロセスで癒されていくのかを示した言葉で、岡(知史)先生の考えを引用させていただいたものです。
まず、一人の神経症者が、セルフヘルプ・グループである発見会につながり、心が癒されていくプロセスを、この基本的な三つの働きに沿って検証しておきたいと思います。

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