「生活の発見会」の創始者・水谷啓二による、原法に近い家庭解放森田療法の実際を調査し、記録に残す目的での――「水谷啓二追想録」の編集・出版活動


兵藤 長雄(代表) 水谷啓二先生追想録編集委員会(OB啓心会)



1. はじめに

 水谷啓二は若い時に森田正馬の指導を受けて神経症から回復したが、後に非専門家ながら、自宅を会場にして神経症者を指導するための会合(啓心会)を毎月開き、また生活を共にしての家庭解放(「啓心寮」と呼んだ)森田療法を行い、そして「生活の発見」誌を124号まで発刊したり、多数の著書を著すなど、森田療法の実践・発展・普及・啓発に多大な貢献をした。しかし、昭和45年(1970)3月に58歳で急逝した。その後啓心会と「生活の発見」誌を引き継いで、この活動の灯をつなぎ発展させたのが長谷川洋三であり、生活の発見会活動である。
 それとは別に、水谷の没後、直接水谷の指導を受けた人たちが集まり(初回は昭和63年2月)、定期的に会合を持って森田的な体験を深めようということとなり、年に2回の会合を重ねてきた。その会を「OB啓心会」と呼んでおり、春秋の2回の例会には30名前後が集まり、互いの体験交流と講演という内容で行い、平成22年11月には第36回が開催された。この活動を続けるなかから、「我々が水谷先生から受けた指導の実際を記録として後世に残したい」という声があがるようになった。それを受けて、平成19年3月のOB啓心会にて検討され、会員の総意としてこの趣旨に基づいて本の編集・出版を行うことが決定された。そして10名の編集委員が選ばれ「水谷啓二先生追想録編集委員会」を発足させた。代表にはOB啓心会代表でもある兵藤長雄がなった。


2. 「水谷啓二追想録」編集・出版の目的と経緯

平成22年3月19日は水谷啓二が没してちょうど40年目の命日にあたる。その意味もあって「水谷啓二先生追想録編集委員会」では本年度の出版にむけて準備を進めてきた。しかし出版の目的は水谷を追想することのみではなく、真の目的は、水谷が森田正馬にならって行った家庭を開放し家族も生活を共にしながらの原法に近い入院森田療法の実際を、治療を受けた体験者の立場からできるだけ具体的に表現し記録に残そうというところにあった。
平成19年3月に発足した「水谷啓二先生追想録編集委員会」はその目的に沿って、どのような方向性や方法で編集・出版を行うかに関して何回もの編集会議を重ねて検討した結果、下記のような方針を決めた。  

水谷の指導を直接受けた人で連絡がとれる人すべてに原稿の依頼をする。できるだけ多くの人からの寄稿を募ることとした。
原稿の内容は、できるだけ実際に水谷からどのような対話や日記指導や書簡などによる指導を受けたか、または、啓心寮の日常生活や作業やその他のエピソードなどを具体的に書くこと。水谷からの指導でどのように回復し、その後の人生にどう生かされたかなども書いてほしいと依頼した。
水谷と交友のあった専門家(先生方)にも、できるだけ原稿をお願いして、水谷の人となりを浮き彫りにし、森田療法家としての水谷が専門家からはどう見られていたのかを知る。
生活を共にしていた水谷の家族の原稿も載せる。水谷の家庭人としての姿を垣間見ると共に、森田療法を行っている場の中で共に生活していた家族の心情も記録する。
内容的に商業本としての刊行は難しいと考えた。売れることを念頭に置いて内容をゆがめるよりも、OB啓心会会員が納得のいく内容で編集し、後世にありのままの記録を残すことを重視することとし、自費出版とすることとした。出版社は森田療法の本を多くてがけている白揚社に依頼することとした。

平成19年から20年にかけては上記の目的や出版方法などを検討し、寄稿を呼びかける対象の選定や名簿の作成などを行った。平成21年に寄稿の依頼文を発送し、原稿が到着したものから順に校正を行った。平成22年になってから全原稿が集まり、白揚社との編集作業がはじまった。
写真も記録の意味でできるかぎり多く収録しようということになり、水谷家および比嘉千賀氏の協力を得て編集委員会で選定にあたり、必要な写真は複写をした。

編集委員による度々の編集・校正を経て、平成22年9月12日に出版にこぎつけた。本の題名は編集委員間で吟味し『「あるがままに導かれて」~森田療法の伝道者水谷啓二と共に~』とした。


3. 『あるがままに導かれて』~森田療法の伝道者水谷啓二と共に~の概要と内容
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本はA5判強の大きさで421ページとなり、文章を収録した人は全部で66名となった。表紙の装画は水谷啓二の孫の水谷仁美が描いた。本書の写真を添える。
四章の構成になっており、第一章は「交流のあった人々」で、新福尚武、長谷川和夫、宇佐晋一、増野肇、丸山晋先生や中村浩白揚社社長など8名の方たちが寄稿してくださった。各先生とも水谷の森田療法への貢献を讃えてくださり、また、水谷が見せた人間的なエピソードも書いてくださった。新福先生の文章が良く水谷の存在意義を示しているのでその抜粋をあげてみたい。「森田門下異色の存在で、ある面では型破りな後継者と、ある面では忠実な伝道者と見られる」「森田療法の本質はただの医療ではなく、もっと深い人間性の自覚をうながすものだと思われる。……現在になりきって作業する、行動する、生きる、それこそが真の自己の発現につながる。そして、真の自己とは自由自在を楽しむものであることもわかってきた。この森田療法の本質を伝えるべく伝道者的使命感を自覚した水谷は『啓心会』を作り、『啓心寮』を行い、『生活の発見』誌を発行して森田療法の普及に努めることになったのであろう」。また、中村浩氏はご自分の体験を開示されて、「25歳ごろに父が突然亡くなって急遽出版社を引き継ぐことになったが、うまくゆかず悩んでうつ状態になっていた折に水谷先生と出会い、森田療法の本を出版することを強く勧められ、慈恵医大に同道して高良先生に紹介していただき、そこから森田療法の本の出版をてがけることになった」というエピソードを書いてくださり、水谷と本の出版をめぐるやりとりなども書いてくださった。そして「森田の思想と水谷先生の残された業績は、グローバル時代になっても決して色あせることなく、輝きを放ち続けることと思います」とも書いてくださった。  
第二章は本書の主たる部分「指導を受けた人々」で、水谷啓二から直接に指導を受けた54名の方たちの寄稿である。わかる範囲指導を受けた時期の順番に並べた。原稿依頼の趣旨にも記したとおりに、寄せてくださった原稿には、啓心寮での体験や指導を受けた体験がとてもリアルに表現されており、水谷のその時の表情や様子や言葉遣いなどが手に取るように表現されていたり、また、指導を受けた日記の内容や手紙の転載なども多くあり、いかに水谷が精魂を込めて精力的に指導にあたっていたかがうかがわれる。啓心寮の生活の内容や毎晩行われていた日記指導での指導の模様などが綴られており、水谷が寝る間を惜しんで指導を行っていたことや、また、手紙での相談にも間をおかずに長文の返事を出して応じていたことなども明らかにされた。ある人は全部で38通もの手紙をもらい、それを現在でも大切に保管していると書いている。これらの指導の内容は症状への指導にとどまらず、就職や結婚の相談ほか人生のあらゆる悩みに対するものであり、指導を受けていた人たちが水谷を森田療法の治療者としてのみならず、親とも人生の師ともみなしてその折々に相談を持ちかけ、水谷もそれに親身にのっていたことがわかる。本書が出版される直前の平成22年8月に、寄稿者の一人、社会学者で東大名誉教授であり『私はノイローゼに勝った』を著した辻村明氏が亡くなった。同氏が心待ちにしていた本書を生前に届けられなかった残念さはあるが、他方では、水谷の指導を親しく受けた人たちの体験を収録するのには今しかないと思って踏み切った意義があったとも思うのである。  
第三章は「家族」で、妻の水谷加志子、長男水谷謙一郎、長女比嘉千賀など4名の寄稿や、過去の文章も一部載せた。水谷も人の親としての悩みを抱えて苦悩していたこと、子どもの側も大きな存在感のある父親との葛藤に苦しんだことなどが描かれていて人間的な共感を感じる。  
第四章は「水谷啓二の生涯」として、簡略に水谷啓二の生涯や森田療法にどのように貢献したかを、編集委員会で文章を作成して載せた。この文を作成するにあたり、貴財団よりの助成を受けて作成・出版された岸見勇美著『ノイローゼをねじふせた男』を、著者に了解を得た上で参照させていただいた。  
収載した写真は60枚におよび、主として水谷が約11年間自宅を開放して行っていた森田療法の場(「啓心寮」)や月に一回開催していた「啓心会」での入寮生や参加者たちとのスナップ写真や集合写真であり、当時の様子や雰囲気を彷彿とさせる。


4. 出版後の活動と反応

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 平成22年9月12日に本書の出版祝賀会を品川のホテルで行った。中村浩白揚社社長や増野肇先生、丸山晋先生や貴財団の山中和己氏ほか45名の参加のもと行われた。兵藤長雄代表がお礼と編集の経過を報告した。水谷の長男謙一郎氏も熊本から参加された。参加者全員が一言ずつ感想を述べ、会員の総意のもとに本書が立派に出版にこぎつけたことをよろこびあった(写真参照)。
 出版後500名を超える関係者に本書を贈呈した。多くの感想が寄せられた。ほとんどが、水谷啓二の業績をたたえ、その活動に感動し、またリアルに当時の様子がわかった、貴重な記録となるであろうなどなどという内容であった。寄せられた感想は大変多数であり、またその内容も、ご自分の体験をまじえたり、こころの底からゆり動かされるほどの感銘を受けたなどのものも多く、この感想を別途まとめて、何らかの形で印刷したいとも考えている。
 平成22年10月に本書出版の報告をする目的で、熊本の長男謙一郎氏宅に身を寄せている加志子夫人に会い、また同氏自宅敷地内にある水谷啓二の墓に参るツアーを行った。参加者は20名を超え、念願の墓参を済ませた後、啓心寮で親身な世話をしてもらった寮母的役割だった加志子夫人(90歳)に久しぶりに再会し、なつかしい話に花が咲いた。そして、水谷啓二が生まれ育った八代の田舎の旧家の雰囲気や環境を感じ取ったりした。
 「生活の発見」誌でも本書の発刊を紹介していただき、前記のOB啓心会の活動も報告した(同誌607,608号)。また、平成23年4月号(612号)および7月号(615号)に本書の一部を掲載したい旨の依頼があり、快諾した。
 
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「埼玉県医師会誌」(2010年11月号)の「読書の楽しみ」欄に田代巌先生(田代クリニック)が本書を紹介してくださった。






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5. 今後にむけて

本書を読んでいただいた方たちの多くの反応は、感動したとか、とても参考になったなどと好評である。発見会の会員の方たちからの購入希望が多く寄せられているが、先に述べたように自費出版にした経緯があり、より多くの方たちに読んでいただくために今後どうアピールしていくかが現在の課題である。
 また、OB啓心会はその後も継続して行っており、本書に収録しきれなかった人がまだたくさんいるとの話が出ていることや、また、直接水谷に会っていなくても、著書や発見誌などで大きな感化を受けて回復した人たちも多いことなどがあり、本書の第二弾の発行をという声もあがっているので今後検討していきたいと考えている。
 最後に、本書出版にあたり、多大な助成を賜った(財)メンタルヘルス岡本記念財団に、OB啓心会会員一同こころからの感謝を捧げたい。

(財)メンタルヘルス岡本記念財団の『研究助成報告集』(23号,2011年発行)から許可を得て転載

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