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Mizutani_sensei01rev1956年(昭和31年)共同通信社の記者だった水谷啓二氏(故人)が、自宅を解放し主催したのが啓心会(啓心寮と啓心会診療所)で、これが生活の発見会の母体となりました。現在の会誌「生活の発見」の発行も、1957(昭和32) 年に水谷先生がはじめたものです。

「生活の発見」という名前は、会誌の創刊にあたって水谷啓二氏と共に活動していた永杉喜輔 群馬大学名誉教授(当時)によって、林語堂(リン ユータン:元北京大学教授)氏の著書「The Importance of Living」(1937)の邦題「生活の発見」(坂本勝訳 1938)にヒントを得て名付けられました。

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1970年(昭和45年)に水谷先生が急逝された後、長谷川洋三(故人)を中心に残された会員をまとめて創ったのが「生活の発見会」です。長谷川氏は当時は電通のPR局次長でしたが、その職を投げうって代表理事に就任しました。

水谷先生の時代は先生のご自宅で合宿のような共同生活の形をとり、学習と実生活を通して多くの方が巣立っていきました。本来でしたらこのような形態が理想なのかもしれませんが、「合宿するような広い家」「世話を行う家族の協力」と、多くの理解者と支援を得ることは容易ではありません。このような事情の中、長谷川氏は「森田理論を学習し、集い、回復体験を語り、分かち合う」ことで神経症からの回復が可能であることに着目し、現在の生活の発見会の学習スタイルを創りました。全国にある生活の発見会を、私たちは「集談会(*)」という名前で呼んでいます。この集談会で、実際に森田理論の学習や体験談の共有を行っています。

このような背景を持つ生活の発見会は、治療を行う医療機関とは異なり、神経症からの回復者が集談会を通して同じ悩みを持つ方々を支援する自助グループとして活動し、現在に至ります。

(*) 懇談会と呼ばれる場合もあります

 

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自助グループとしての生活の発見会の活動を、比嘉先生はこのように述べています。
1)専門家ではなく同じ一般市民である当事者(神経症体験者)が活動の担い手であることの意義が最も大きいと考える。身近な隣人からの実際的な情報や支援は人々に受け入れ易い。森田理論や回復体験が、専門用語ではなくわかり易い日常用語で解説され、実践的な効果も伝えられたりして、森田療法が容易に広く普及したと考えられる。また身近な所で行われている活動に多数の人が直接触れることができたことも大きかったと思う。
2)援助の受け手であった人が回復して新たな援助者となり、後進の人々を支援するようになる。そして同じ苦しみを体験した回復者として使命感を持ってボランティア活動を担い、またそれによって回復者は更に自分たちが人間として成長していくという充実感や悦びを感じる。この強力な活動エネルギーを循環的に生み出し続ける助力者原理、自助グループ活動の基本原理が機能し続けてきた結果として、専門家と対等かつ独自の立場での発見会活動の発展がもたらされたと考える。

第23回日本森田療法学会「自助グループへの展開と地域への拡がり」
ひがメンタルクリニック院長 比嘉千賀

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